忌野さんゆかりの「たまらん坂」に花束絶えず | フィトンチッド 花粉症 SEO アクセスアップ C.Iサポートセンター

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今月2日に58歳で亡くなった歌手の忌野清志郎さんの告別式が都内で営まれた9日、東京都国分寺市出身の忌野さんのゆかりの地「たまらん坂」には、熱心なファンが別れを告げに来る姿があり、親交のあった人も音楽界のヒーローの早すぎる死を悼んだ。

 「たまらん坂」は、国分寺市と国立市をつなぐ多喜窪通りにある。忌野さんのロックバンド「RCサクセション」が1981年、「多摩蘭坂」という曲を発表して以来、ファンには聖地のような場所となっている。以前は、坂の両側に玉石の石垣があり、石の一つひとつにファンのメッセージが書き込まれていた。

 忌野さんが亡くなった翌日の午後からファンが続々と詰めかけ、坂の名前を記した標柱の周りは、花束でいっぱいに。「清志郎さんからロックを教えてもらった」「あなたの歌と優しさに励まされて今の私があります」と書かれた手紙もささげられている。

 大阪府の女性ファン(44)は9日午前、告別式に参列する前に立ち寄り、「17歳で初めて聴き、雷が落ちたような衝撃を受けた。昨年の復活祭(コンサート)では、ものすごい声量を聴かせてくれ、完全復活を確信したのに」と話した。

 忌野さんの実家は国分寺市富士本で、JR国立駅北側にある。近くで商店を営んでいた森田豊彦さん(68)(日野市万願寺)は、「絵が上手で、小さい頃は絵描き志望。中学の頃から(ギターを)ベンベンやり出した」と振り返る。ステージ上では派手なパフォーマンスが目立った忌野さんだが、素顔は「寡黙で謙虚。言葉遣いも丁寧だった」という。

 森田さんは、忌野さんの母親が病気で入院した際には、父親を車で送るなど世話もした。忌野さんは森田さんへの恩を忘れなかったという。「CDを出すたびに送ってくれたり、ジャケットのモデルにも参加させてくれた。義理堅く、天狗(てんぐ)にならず、本当に好青年だった」と悔やむ。

 都立日野高校を卒業した忌野さんは、OBらと親交を続け、担任だった小林晴雄さん(77)を中心として開催されたOB美術展にも出品。今年1月から2月にかけて、国立市のコート・ギャラリー国立で行われた「第29回展」への出品が最後となった。タレントの間寛平さんを描いた作品は明るく前向きで、会場で最も目立っていたという。

 同校OBの八王子市本郷町の画材業、芝田勝美さん(56)は、「毎回、自宅に絵を受け取りに行くのが楽しみだった。いつも元気な絵で、病気されても変わらなかった。来年のOB展でも、ぜひ作品を飾りたい」と話していた。