遼クン号泣故島田氏へマスターズ活躍誓う | フィトンチッド 花粉症 SEO アクセスアップ C.Iサポートセンター

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石川遼(17=パナソニック)が、涙ながらにマスターズ(4月9日開幕、米ジョージア州)での健闘を誓った。石川は30日、都内のホテルで開かれた日本ゴルフツアー機構(JGTO)初代会長で昨年11月に亡くなった故島田幸作氏(享年64)の「お別れの会」に出席した。プロへの道を開いてくれた故人への思いに言葉を詰まらせ、約5分間泣き続けた。島田氏とプロ同期の青木功(66)からは「勝ってこい。お前の野望だろ」と激励されるなど、先輩ゴルファーの思いを胸にマスターズへの決意を新たにした。
 いつも快活で明るい石川が、突然言葉に詰まりうつむいた。故島田氏への献花直後に、控室で故人への思いを話し、報道陣から「献花台でマスターズ出場を報告した?」と聞かれたときだった。指で目頭を押さえながら「本当に…、頑張ろうという気持ちになりますね…」と絞り出すのが精いっぱい。報道陣が声をかけるのをためらうほどで、約5分間いすに座り込んだまま動けず、肩を震わせ、涙が止まらなかった。
 涙を見せるまでは恩人への感謝の言葉をしっかりと口にしていた。「島田さんがいなかったら、いまの僕はいなかったと思う」。99年のJGTO発足で、米ツアーのように「プロ宣言」をすればアマからプロへの転向が可能になった。それ以前はプロテストに合格しなければならず、受験資格も18歳以上という年齢制限があった。それを変えたのが、初代会長である故島田氏だった。
 石川が07年マンシングウェアKSB杯で優勝し、獲得したシード権を行使するためプロ転向宣言したのは16歳の時。その1年目に、島田氏の名が冠された新人賞=島田トロフィーを受賞するほどの活躍をみせ、マスターズ出場の偉業にもつなげた。改革の申し子とも言える石川は「大会で会うたびに『体は大丈夫ですか』と声をかけてくれて。優しいし温かい方だった」と振り返った。
 故島田氏と同世代の青木からは次世代を託された。石川に遅れて控室に姿を見せると、「(66歳まで現役の源は)おれはものすごい好奇心強いから。継いでいるのは遼だね」と絶賛。傍らで泣き崩れる石川を「マスターズ行って勝ってこい。お前の野望だろ」と力強く抱き締めた。尾崎将からもマスターズに向け「暖かいも冷たいも自分で知るしかない。“冷暖自知”が一番だよ」と期待された。故島田氏だけでなく、日本ゴルフ界を支えた偉大な先輩らの想いも力にし、米国での戦いに挑む。