思考が現実化するのが早くなっている話を最近よく耳にします。
先日見たYouTubeのとある番組でも
「死ぬまでに一度会いたいと思っていた人にすぐ会えた」と言っていました。
Twitterのタイムラインでもときどきこの手の話を目にするようになってきました。
私もまさに、そんな最中にいる気がしています。
「この業界の仕事、今のこの現場で働くのは限界なのかもしれない」
2014年。もだもだ受験を先延ばしにして、必要性を感じてようやく手にした心理士の資格。
たった数年後に、その資格を活かして発達障害の子と関わるのは難しいと痛感。
自分は何を学んできたのだろうと無力感に苛まれました。
当時の私は、彼らに関わるには、心理学的なアプローチではなくて、理学療法とか作業療法の分野からのアプローチの方が有効なのではと考えていました。
そこから栄養の重要性に気付かされたのが2017年。
学びたいけれど、どこから手をつけて良いかわからないし、
結局、心理士の立場でできることではないとまた落ち込みました笑
2019年の冬。ようやくたどり着いたサリー・カークさんの本を読んで
今までバラバラと疑問に感じていたピースが、カチカチとはまり出し、全体像がようやく掴めた感覚を得ました。
自分自身の体調のことも振り返って思い当たる節が多くて、
漠然と「栄養ことをもっと知りたいなあ」と考えていました。
何となくの感覚で、家庭科とか管理栄養士的なものではない感じ、
でもそれって何学って言うのだろう?
今年の私。
無職期間でいっぱい時間があったので
これを機会に少し調べようとTwitterでたくさんの栄養に関した情報を得て、
その方つながりの別の方の発信を見てまた情報を手にして、日々学びと確信を得ています。
まさかTwitterでこんなに情報を手に入れられるとは思いもしなかったです。
そうです。私も見事に思考を現実化できていました。
私の弱点でもあり、ずるいところなのですが
全体像を掴めないと、知識がうまく連動していかないたちで
しかも要領が悪くて場数を踏まないとモノにできない。
例えば難しい本だとか、理論だとかも、直接の作者が書いたものでなく
体系的にまとめている人の発信を見て全体像を掴んでから
ようやく自分も土俵に上がって学び始める傾向があります。
なのでTwitterで発信されている方の、字数制限を考慮した最小限かつ端的な叡智の恩恵を預かれている気がします。
でも反面、自分で直接本や論文を見ていないから
どれが真実でどれがフェイクかわからない。
こういう時は、感覚頼み笑
直感で「これは合いそう」「これは私に必要無さそう」って取捨選択しちゃいます。
Twitterで知った、續池均さん。
この方のセミナーは一度受けてみたいな、と何となく思っていました。
岐阜や東京開催のものに行ってしまおうかとも一時本気で検討しましたが、
4月から新しい職場に行って間もない中で、休みやスケジュールの見通しが立たず断念。
するとなんと、札幌での開催が企画されたではありませんか!
これは行くしかない!と、毎日續池さんのTwitterに警備員の如くはりつき、
募集告知が出るのを見逃さずに応募。無事、参加申し込みできました。
「なんとなく思っていた」は自然と自分の感情が乗っているので
きっと現実化しやすいのでしょうね。
「ものすごく行きたい」「ものすごく会いたい」は現実化しにくいのかも。
オーダーって難しい。
本当に枯渇した状態でオーダーすると、現実化しにくいようですね。
今、臨床心理士や公認心理師の界隈では
うんたら禍でのメンタルヘルス対策が盛んに言われている中
それに目もくれずに全く違う畑へ進んで学びに行く心理士っているのかな笑
きっと、私の行きたい社会では心理士の仕事は要らなくなると思うのです。
今は過渡期。ここは必要な領域かな、というところで細々と働いていますが
ゆくゆくは今まで培ったことを綺麗さっぱり捨てるときが来るかもしれない。
そうしたら私はどんな生活をしたいのかな。
最近そんなことばかり考えています。