最後にブログを書いたのが、

 
ぼくのブログの希少で貴重な読者の方たちも、
ブログがあったことさえお忘れかもしれません。
 
ぼくが作家になろうと決心したのは2011年の春のことでした。
 (こう書きながら果たしてそうだったのかふり返っているのですが、
 記憶は定かではなく、
 すぐにはそれを裏付ける文書も見つからず、
 ブログのタイトル説明から逆算してそうだろうと類推している次第です…お恥ずかしい)
その1年後にこのブログを立ち上げています。
 
当初は期待と希望と共に始めたブログでしたが、
いつの間にか日常のさまざまな行いの中に紛れてしまい、
この数年はブログを書くことに意味や期待を感じなくなっていました。
 

意味はないのでしょうか?

 

意味はありません。

 
意味は自ら与え、自ら見いだすものだからです。
 
それを始めてみようと思います。

 

2017年6月6日

夏目

 

最後にブログを書いたのは昨年の11月。

すっかりご無沙汰してしまいました(^^;;

クマのように冬眠していたわけではなく、
それなりにいろんなことがあったわけですが、
なんだか気持ちがブログに向かいませんでした。

作家への道は歩き続けています。

昨夜、いま手がけている短篇小説のエピローグを書きました。

あとはこれまで書いた6つのシーンをつなげて、
推敲すれば完成です。

これまで書いた小説はほとんど完成しなかったので、
最後のシーンを書き上げたときには感慨を覚えました。

今月の15日までには完成させたいと思います(^_^)



iPhoneからの投稿


作家への道
昨日たまたま行った本屋で平積みの台を見ていたら、


井形慶子さんが書かれた文庫本があった。


井形慶子さんはイギリスでの生活体験をもとに、


イギリスの暮らしの紹介、


日英の比較などについての多数の著作がある方だ。



しかし、ぼくにとっては彼女は『夜にそびえる不安の塔』という、


それまで書かれた彼女の本とは異質なルポルタージュによって、


強くこころに刻みつけられている人だ。



見つけた文庫本のタイトルは『運命が見える女たち』だった。


その帯には「霊能力は本当にあるのか!?」というコピー。


昨年ぼくが読んだ『夜にそびえる不安の塔』の続篇か?と、


こころときめきながらページをめくってみると、


単行本として出版された『夜にそびえる不安の塔』を、


タイトルを変えて文庫化したものとわかった。



同じテーマによる続篇など、


彼女の新しい知見を読みたいと思っていたぼくは少し落胆した。



文庫本の帯には霊能力とあるが、


この本はまだ起こっていないことを予見したり、


目には見えない人のこころをすかし見たりする、


3人の女性占い師について書かれたものだ。



占いに関心がある人はとても多いと思う。


人生の行く末がどうなるのか?


どんな伴侶がふさわしいのか?


手がけている仕事は成功するのか?


この事業を始めていいものか?


どこの大学に行けばいいか?


人生における選択を迫られるとき、


人はその選択の結果をなんとかして知りたいと思う。


それは人のこころの自然な動きだ。



失敗して惨めな思いをすることを望む人は少ない。


未来を知りたいという意味で僕も個人的に占いにはとても関心がある。


一方で、そのように未来を予見する能力などの、


人間の隠された能力が現実に存在するか否かということにも強い関心を持っている。


占いの信憑性はその一点にかかっているのだから。



『運命が見える女たち』は、


ぼくの「信じられるのか?」という問いに、


「それは確実に存在する」


という答を与えてくれた本だ。