今年もあと僅かになりましたね。
ブログを拝見してくださった皆様、お付き合いくださり心から感謝致します。
ありがとうございました。
今年は厄年でもなかったのに怪我が続いたり、義理家族から悲しいことをされたり、私は本来の自分を見失ってしまうほどまいってしまいました。
人を憎いと思う感情を、本当の意味で理解したのは初めてでした。
辛いことをされた上にこのような醜い感情に囚われてしまうこと。
なんて悲しいことでしょうか。
どんな救いの言葉も届かなくて、今までされてしまった過去の仕打ちがさらに輪をかけ私を苦しめました。
ある人は相手に合わせたらいいというけれど、まったくそれでは心苦しいし、したとしても心がスッキリしません。
だけどまったく忘れてしまって昔のようにふるまうことはもうできないし…
一度グシャグシャになった紙を広げても元のようには戻らないのと同じです。
けれど物凄く辛いはずの私なのに、子供がいて一緒に温かいご飯を食べれること、一緒にお風呂に入れることは物凄く幸せでした。
大変でも子供の存在が喜びであり、なくてはならない存在だとつくづく思わされたんです。
いつしか私は変わりました。
数年前の私ならそんなことは思えず、目の前の幸せがまったく見えなくて、傷つき腹を立て、悲しみから抜け出せずにいたままだったのに、今はそれを長くは続けられなくなりました。
それはやっぱり、自分の人生は一度しかないと強く思うようになったことや、歳を重ねるうちに沢山の人と出会い、大切にしなければならないことは何なのかということ、つまらぬ人のする事に惑わされたりせず、大切な物と共にもっと幸せな時間を過ごさなければと思えるようになってきました。
顔を合わせてしまうとまだまだ元の気持ちに戻ってしまいそうになりますし、この先そうなるかもしれませんが、その度に前を向くことだけが幸せへの道だと考えるように自分に言い聞かせたいと思っています。
人間は何事も経験してみないとわからないものですね。
こんなことが、何年もかけてようやくわかるですから、失ってしまった時間は取り戻せませんが、無駄なことはひとつもないと思いたいです。
考えたら、たわいもない日常こそが幸せなのだと感じられるようになったのは、コロナ禍を経て得たものでもありました。
先日も、同業者ではありませんが、コロナ禍の時はどう過ごしてきたかわからないとおっしゃったのをお聞きし、私もそうだったと。
ふと思い出したんです。
あの頃は毎日のように、今日はお客様はお見えになるか、明日はどうか、いつまで続けていられるものかと不安にもなりましたし、まるで暗闇の中足元手元だけに灯をともして過ごしているような先の見えない日々でもありました。
息子も排尿の件で問題行動だと放課後デーを利用できなくなってしまったことも重なり、仕事ができる時間も減ってしまい、それでも経費は発生するのですから、それはそれは大変な時期に直面もしました。
でも家に帰れば愛しい我が子がいる。
仕事ができない日も続いたけれど、子供といられることがとても幸せに感じましたし、当たり前の日常こそがありがたいのだと心底思いました。
そんな時間も過去の話になりつつあり、行動制限がなくなり、また人であふれる世の中になって、気づけば後ろに道はなく、前だけに道があります。
息子も情緒を取り戻し、別れもありましたが見捨てずにいてくれた先生方の優しさのおかげで、仕事ができる時間もいくらか確保できるようになりました。
そしてなにより孤独で辛い毎日でも、大変な中には1人じゃなく、支えてくださるお客様という存在があること。
感謝の気持ちでいっぱいです。
戦争や物価高やらで日々の生活は大変になる一方でまだまだ不安はありますが、こんな時ほど大切なのは助け合いの精神や思いやり、慈しみ、そこから生まれる人と人との絆だということを身にしみて感じました。
たわいもないお話の中にはいろんな思いやそれぞれの生活があって、私達は生きているけれど、どこかで見えない絆でつながっています。
この毎日がなんとなく生きるではいけないなと最近特に思えてきたから、憎むことからは卒業しなければいけません。
自閉症と知的障がいを持つ子供と、生き辛さを感じながら頑張る娘。
2人を育てていくことと、仕事を持つことは私にとってはとてもとても精一杯なことで、身体が2つあったらいいのにと思うし、こんなに辞めたくないのに辞めてしまおうかなと思うこともあります。
精一杯の毎日です。
息子の子育てはやっぱり自分の身体との闘いでもあって、体力気力に限界を感じる時がありますが、なんの欲もない息子を見ていると、生き仏だと思えてもくるし、過ごしているだけで心が浄化されますし、娘を見ていても、若く純粋な命は美しいなと思えるし、なにより愛しているからこそまるごと抱え込むのだと思います。
できることとしたら惜しみなく2人に愛情を注ぐことだけです。
愛が十分に満ちていれば、人をいじめたり、欲にかられ姑息なことをしたり、人を陥れるというようなことを人にはしないよな…と思って。
今日一日の中にでも小さくても幸せを見つけることで、人はもっと満たされるのではないのかと自分に言い聞かせているうちに、家族をもっと愛して大切にし生きてきていきたいと思うようになりました。
いろいろ物思いにふけながら昨日は仕事納めでしたが、とても感動するお話が聞け、感慨深い一日にもなりました。
昔先生だったお客様なのですが、話の中で障がいを持つ生徒さんのお話になったんですね。
そのお子さんもいたクラスで鬼は悪い鬼だけでなく良い鬼と悪い鬼がいるんだよという話を先生が皆んなにしたことがあったそうなんです。
そしたらそれぞれに、
「弱虫の鬼どっかいけ」、だとか、
「意地悪な鬼どっかいけ」とか言ったりしていたそうなのですが、あるお子さんが、障がいのあるお子さんの◯◯君のことで、
「◯◯君の喋られへん鬼どっか行け」と、言ったそうなんです(;_;)
私は聞いた瞬間言葉に詰まり、泣いてしまいそうになりました。
先生も涙ぐんでいて…
そんな優しい優しいお子さんがいるんですよね。
障がいを持っている子供を持つ母としてはとても心温まるお話が聞け、先生が帰ってからも思い出し涙が溢れて止まらなくなりました。
先生は障がいを持ってるお子さんがいるクラスはみんな優しいし、クラスがやっぱりまとまるとも教えてくれました。
もちろん私の子供が障がいを持っていることを先生は知らず、偶然聞けたお話です。
その後も他のお客様との話で、胸がいっぱいになるようなお話になり、人が人を愛する思いは言葉ではいいあらわせないほど美しいなと思えた一日になりました。
いろいろ教えてくださるお客様に巡り会えたことを幸せだなと思うと、より一層感謝の気持ちでいっぱいになるし、辛かった苦しかった一年でしたが、これからは息子のためにも娘のためにも日陰で耐え忍び悲しい人生を送るのではなく、家族の健康と幸せを願いながら太陽の下はつらつとした母でいたいと思っています。
最後までお読みいただきまして
ありがとうございました。
皆様お元気で、
良いお年をお迎えください。
お幸せを心より願っています。
また来年もどうぞよろしくお願致します🙇