近所の顔見知りのおばさん。
うちの事情を知ったそうで、わかっていながら知らないフリの質問されて神経を逆なでされてしまいました。
その時の目がなんとも嫌な目で、ギラついてとっても嫌だったんです。
完全に面白がっている様子だった。
なんだかゾッとしてしまって、そのあと何も手がつかなくなってしまって。
ここらへんの人もいろいろ私達のことを好きなように噂しているんだろうな…と思ってしまったのです。
面白おかしく不憫がられてるのかも。
そんなに人の負のことがみんなのパワーになってしまうだなんて💦
あ〜嫌だな。
昔信頼していた職場の人にも、私の家での話をしたらば人の不幸は蜜の味。
そう言われたこともありました。
とてもいい感じの人なので、驚いてしまってそれから私はその人と心の中で一線を置くようになってしまったんです。
数年ぶりにあった時、あの優しかった控え目だった姿はまったくなくなってしまってて、なんだかわからないけれどふてぶてしくなっていたのです。
雰囲気が周りからいい意味でも悪い意味でも一目おかれるようになっていて…。
以前の清々しさはどこへ行ってしまったのか、理解に苦しんだのだけど、人は苦労しすぎても駄目なのかもしれません。
私は今回怒りや恨みの力は物凄くて、自分を見失ってしまうものなのだと身を通して感じました。
何度でもどん底に落ちて…
だけど落ちるまで落ちるしかないのです。
心が汚れて淀んで苦しくて、生き地獄とはこのことだと悟ったけど、何も変えられない。
もがいて苦しんだあげく自分を救うのは自分なんですね。まだまだ救いきれていません。
恨んでしまうようなことをされてしまって傷が癒えないというのに、恨む側のほうが否定され、なおかつダメージが強いだなんて。
悪いのはどっちなんだと思います。
環境や周囲の影響で人が変わってしまうことってやるせないですよね。
それが人生は不平等ではなく平等らしく、因果応報というもので折り合いがつくということなのでしょうか…
まだまだ私にはわかりません。
あれから私は家探しをしています。
出るとも出られるともわからないのに、そう考える時間にもの凄く救われている私。
にしても物件探しは大変ですね。
どこかで妥協しないと絶対に見つからないのでしょう。
自分の直感を信じるしかないのかも。
探しているうちに、賃貸?新築?中古?
一軒家はたまたマンション?
考えが揺らぎました。
自閉症の息子は絶対に一軒家でないと、今のところ住める自信がありません。
成長したら大丈夫なのだろうか…
予算を考えると中古のお家が良いし。
そこで感じるのは家には歴史があるということで…
もともと敏感な性質な私。
これは無理…と感じる周囲には、結構な割合で、、、なことが多くあるのです。
なにも感じなければ何も考えなくて良いのですが、そういう訳にもいかず、なので探しているうちに、家自体も怖いと感じる物件がたまにあり、挫けそうになってきます。
いつ良い物件に巡り会えるのだろう。
全ては運と縁で働き、動くも動けないのも運命。
ある程度の年月のめどを立て、2年後〜7年後かな…。
人生は一度きりだということを、十分に感じるようにもなってきたから余計です。
ですがそうしたら逆に少し焦りがなくなってきたんです。
今はじっくり地盤を固める時だと。
私の人間的に反省しなけれびならないところは本当に沢山あります。
その一部として、両方の親というしがらみに縛られて抜け出せずこれまできたことです。
自分を自由にしませんでした。
親が家族が大切だと思っていたからです。
自分が招いた結果でもあるんです。
怖がる必要なんてなかったのに。
だけど息子や娘を産んで、心がとても清いものを求めるようになり、この今の現状が辛くてしかたなくなりました。
やっとこの世に生命を授けられ、喜びに満ち産まれてきたはずなのに、もったいない生き方をしています。
思い通りにならないのが人生なんだよと、人生の先輩達は言い、あとは仏に任せるのみと。
ですが若さゆえなのか、しがらみに背を向けたくなるのです。
だって私は任せすぎて行動してきませんでした。辛抱に飽き飽きしてきたんです。
みんなが物質的なお金や土地に縛られる中、
自分の財産は何かと問われた時、物質的なものはわずかなものしかありません。
自分達が建てた家と、両親が買ってくれた古いピアノ。
それが物質的な財産かな。
ピアノも私と同じようにいじめにあって、傷だらけにされたけど💦あれも心が痛かった。
だけど、娘と息子は私のこの世でかけがえのない宝であって、これだけは誰にも奪えません。誰にも手出しできない唯一無二の宝物です。
そして、親が授けてくれたこの身体。
今まで頑張ってきてくれてありがとうという気持ちです。
無理もしてきていろいろ故障もしてるだろうし、点検をかなり怠っているのが心苦しいのです。
大事にしなくてはならないものが守れていません。そんな中途半端な私なんです。
自分に申し訳なく感じもするけれど、ボロはボロでも、この手が作るもの、身体が私の財産であり、思考や与えてくれた誰かの善意の記憶は刻まれていて、誰にも奪えない唯一なもの。
ありがたいです。
先日も情緒不安定な息子を連れて、行きたくはなかったけれどしなくてはならなかった買い物をしていたんです。
やっぱり大変な状況になってしまったんですが、そんな時突然声をかけてくださった奥さまがいました。
すみませんと言われたので、あら、また、店員さんに間違われたかしら
(たまに店員さんに間違えられるので💦)と思ったのですが、振り返ると、見ず知らずの私達にくじ引き券をくださったんです。
思わず私、号泣しそうになりました。
奥さまには娘さんらしきお嬢さんがそばにいらして、お嬢さんに息子の様子を優しく説明されてました。
私と奥さま。
同じ立場だったんです。
障がいを持つ、親同士という。ね。。。
いろいろありますが、私は生かされて助けられているなって奥さまとお嬢さんのおかげで救われました。
人に不幸だねと笑われて心が揺らいでる私でまだまだ泣きっ面に蜂ですが、
だけど、自然とそんな心を取り払ってくれるような出会いがあるのですよね。
やっぱり私は、子供たちが愛しくて愛しくて、そう思わせてくれる子供達が、生まれてきてくれたことがすごく嬉しいです。
子供がそんな出会いを引き寄せてくれているのですから。
そう思えば思うほど、無駄なことに時間を使ってはいけない、これからはもっと自分の身体を大事にし、嫌な人間関係から縁を切っていかなければと思うのです。
柳のようにまともに受ける逆風をかわすしなやかさを持ち、
タンポポのように強い風が吹こうとも負けず、踏まれても踏まれてもたくましく、大地に低く根を張り身を守る。
その努力が実を結び、花を咲かせ、やがては次の世代に祈りの種を飛ばす。
そんな生き方を迫られているようで…
悪いものはスルリと身を交わすべし。
自分を傷つける者に聞く耳をもたなくてもよかったんです。
私の愛する子供がこれからも幸せに暮らしていけますようにと祈りたいと思います。
皆さまにも幸ありますよう心から祈りたいと思います。
いつもご拝読いただきありがとうございます。