昨日息子はとっても疲れていた。
ご飯を食べてうとうとしだしたので、慌ててお風呂に入らせ早めに眠りにつかせた。
眠いのに無理にお風呂に入れられて、その気持ちが言葉にならなくて引っ掻きが一度あった。
痛いよ、あかんよと口走るものの、一瞬息子の気持ちになり口がつぐんでしまいそうになった。
自分の気持ちを伝えられない苛立ちは想像するだけでもきついとわかる。
私なら絶えられない。
こんな時、引っ掻きが目立ってしまって本人の気持ちとは別に周囲に誤解を与えてしまうことがあるかもしれない。
それが親として本当に息子が可哀想でならないことだ。
本人のためにも根気よく伝えいくが、
共感してあげることで気持ちが治まる場合が多いのも事実。
引っ掻いてしまう状況にならないようにしむけることが一番大事だが、状況により難しい時もあるから工夫もいるし、体力も心の余裕もいる。
けれどこのプロセスは障がいがなくてもあっても同じだ。
気持ちに寄り添う育児は子供の心を満たすだろう。
とはいえ息子にはハンディキャップがある。
簡単に伝えららる言葉という手段、
「助けて」が伝えられない。
そんな息子の気持ちがわかるから、余計に丁寧にかつ、言葉の意味が理解できないと思わずに、しんどいもんねと共感してやらなければと胸が痛くなった。
息子は相手が自分のことを大事にしてくれているかどうかはわるのだ。
そういうところはしっかりわかっている。
障がいはあっても、生きるために備わっている力で本能だ。
息子は引っ掻いている時も伝える手段がなく好きでやっているわけではないのだから、そんな時味方が欲しいのだと思う。
わかるよその気持ち。
そして睡眠障害があるからとお薬を飲ませ、眠りやすいようにシャッターを閉めたりして、クーラーの効いた部屋に寝転ばせた。
するとそれまで眠くて機嫌が悪かった息子なのに、とても嬉しそうに幸せそうにケラケラと笑っているではないか。
身体は大きくなったというもものの
その様子がとっても無垢で癒やされる。
見ていると、嬉しいってどんなこと、悲しいってどんなことがよくわかる。
私はその姿を見ながら、
義家族に可愛がられなくてもいいじゃないか。
今日も義父に無視された。
義理の妹も義父母も最低で、許すなんて到底できない。
だけど、自分の心を振り回されるだけばかみたいな話だ。
だけど、私の味方は他にもいっぱいいる。
私は負けないよ絶対に。
私がめいいっぱい可愛がってやればいい。
この子は私の大切な大切な宝だ。と思った。
けれど、とても愛おしくなったのと同時にどこへも持っていくことのできない気持ちにも襲われる。
息子は自分の気持ちが通らなくて、伝わらなくて、もどかしい時が日々の中沢山あるだろうと。
いくらくらいの我慢をしているのだろう。
わからない。
乗り越えてくれて、辛抱してくれていつもいつもありがとうと心から思う。
あなたは自分が辛くても、怖くても立ち止まったりしない。
私とは大違いで
とても強い子だよ。
小さなことに幸せを見つけては喜んで、笑顔を見せてくれる息子はいろんなことを教えてくれる。
君は何もできない子ではなく、こんなにも人の心を癒やして動かせる。
思わず息子の頭や背中をなでながら言う。
いろいろと頑張ってくれてありがとう。
〇〇は本当にかしこい子。
偉いね。今日も一日よく頑張ったね。
〇〇はさ、辛いことや自分の思うようにできないことも、この人生が最後だからね。
次生まれて来る時は、なんだってできるから。
〇〇がしたいこと全部できるよ。
サッカーだって野球だって、パイロットにだって、自分の思い描くなりたいものになんでもなれるからさ。
だから、この人生はママと一緒に頑張ろうね。
ぎゅと手を握りしめた。
大丈夫だからね。一緒だよ。
大好き。
また明日一緒に遊ぼうね。
そうしているうちに安心したかのように息子は目を閉じた。
その時しっかり息子の手を握る自分の手が熱かった。
息子の辛いことやしんどいことが、全部全部なくなればいいのに。
自分にパワーがあるなら息子にパワーをあげるのにって思った。
障がいがあると、みんなとは違う道を歩まなくてはならなかった。
その覚悟を決めた日から数年、涙は枯れることなく流れた。
お別れの時のような喪失感と、これから自分が息子を守ってあげなければならないという責任感におしつぶされそうで、言葉では表しきれない不安を今でも覚えている。
こんなことになってごめんね。
この気持ちが先だった。
誤ってもあやまりきれなくて、どんなに願っても何も変わらない、変わってあげたくてもあげられない不甲斐なさに、来る日も来る日も泣いたあの日々。
忘れることはできないし、とても辛い日々でもあったけど、これからもそう、人間の深いところで生きることを学んだ日々だと思っている。
彷徨っていた。
どうすればいいかわからなくなってた。
それでも
伊勢神宮の本殿を、誰に言われるでもなく場所がわかっているかのように突き進む息子の後を追いかけながら、だけど、なんだか大丈夫な気さえもしてきたあの日。
とっても長いお祈りをした。
随分自分勝手なお願いもした。
そらからいろんな人に出逢った。
悩んでは泣いて、だけど可愛くてしかたない。
そんな時助けてくれた保育園の先生がいた。
蘇る記憶。
今より良いかも悪いかもわかりませんが、
お母さんと〇〇くんが頑張った先の未来ならどうですか?
先生がかけてくれた言葉。
今はそれほど思い詰めたり頑張ってはいないかもしれないけれど、「ちょうど良い加減」が息子との間で出来上がりつつある。
息子を理解しよう、根気よく寄り添おうという気持ちが何年もかけて養いつつあるのは、息子と共に「良い加減」で頑張ってきたからこそできた精神だと思っている。
やっとね、息子が私に意識を向けてくれるようになったよ先生。
自分の名前がわからなかった息子だけど、先生が言うように、それでもわらないと思わず抱きしめて呼んであげてくださいと言ってくれたから。
本当にわかるようになったんだ。
ありがとうございます。
大きな声を出せるということは生きている証ですと言う言葉も。
今でも心に焼き付いていて、息子が生きてくれていることが何よりありがたい気持ちと、汚れがないそのままの存在に、
私は悩まされることがあっても助けられているし、癒やされてもいます。
教えてくださったことは一生の宝物です。
力が及ばずへこたれてしまいそうになることがあっても、やれるだけやろう。
受け入れていける強さがほんの少しだけできた気がしています。
嫌なことが沢山あるけど、私の道しるべは子供達だ。
自分が思い描く未来に向けて、進め私。
最後まで読んでくださりありがとうございました。