皆さまいかがお過ごしですか?

秋晴れは清々しくて気持ち良いのですが、
秋は物悲しくて苦手な私です💦
 
ブログを投稿しては、いややっぱり…と辞めてしまったり、間違って投稿してしまったりと…
もしも目を通していただいた皆さまいらっしゃいましたらすみません。

なんだか自分でも気分がガタガタで、ちょっとのことが堪えるのです。


昨日の月はまるまると大きくて…

オレンジ味を帯びながら佇む姿は
とても美しく、
だけどどこか物々しい…

神秘的ではあるけども、不動の物はなぜか怖いと感じてしまうのは私だけでしょうか…

時はかねなり。

2学期も気がつけば中盤戦。
来年度のことを思う母がいます。

小学校入学時。
全てが不安だったあの頃。

ハンディキャップを持つ息子が急な変化に困らないようにと…

入学の3ヶ月前から親子で週1見学へ行ったりと、それはもうお受験さながらの気持ちでした。

あの頃の私は相当思い詰めてもいましたし…。

小学校の先生方へ息子を知っていただくべく
沢山の書類とも向き合い、
この紙の中に、いかに息子を知っていただくことの難しさなのだろう…と、ペンが止まったことを思い出します。

伝えることの難しさ…
今でも反省の毎日です。

こんなに一生懸命になるには理由があって…

人により、ハンディキャップがあるから…と、そちら側の存在が大きくなってしまい、息子の全てに憶測や決めつをされてしまうことがある。
そんなことを恐れているからなのです。

診断名があってもその通りではなくて…。
そのことを理解して欲しい。

診断名だけを見れば、息子はどんな子だろう…と不安を抱いてしまうかも知れません…

そんなふうにならないために、あらゆる言葉を駆使し、息子の良さを伝えることにエネルギーを燃やた。

時には面白おかしく…
時には物悲しく…

今までの先生方とやり取りしたノートは何十冊とあり、宝物として保管してあります。

ついつい話が長くなり、本音や悩みをノートに書き込むこともあり、受け答えする先生は大変だったと思います。

全ては息子のためでした。

年長の時、ノートをこれまでのように書くことは難しいと言われたことがあって泣いたこともあったっけ…

なぜなら息子はおしゃべりすることができないのだから、先生からの息子の様子が聞けなければ、まったく息子が何を感じて何をしていたかがわからないからだ。
物凄く泣いた覚えがある。

いろんなことがありました。

細かくそれこそ何ページにも渡りいろんなことを書いて教えてくださる先生もいて、息子はとても幸せだと思えたこともありました。

息子もだけど、私への気持ちを物凄くサポートしてくださり、先生って素晴らしいって思えた先生もいました。

時に読み返し、初心に戻る…

今更ながら、こんな邪魔くさい母に皆さん理解しよく支えてくれたなと感謝でいっぱいです。

ですが全てがそうではなくて…
いろんな、葛藤があったのも否めません。

以前息子のことで、いろんな医師を訪ねたことがありました。
全ては息子のことを任せ、心から相談できるということができるかどうか…という信念がそうさせていたんだ思います。
完璧な人なんていないのに…

けれど、どこへ行っても一緒だなんて思えなかった。

その人でなければできないことがあると思うからだ。

息子に関して妥協することができなかった私は孤独にもなり、分かち合うことができなくなったこともありました。

けども、私でなければわからない感情もありました。

それをドクターショッピングだと言う市の職員もいたけれど、もしも治らない病気だとしたら、そしてましてやあなたの子供のことならば、あなたは自分が信頼できる医師を探し続けはしませんか?と、問いたかった。

息子と進む道には、いろんな覚悟や決断がいる。
そのためには頼りになる存在が必要でした。

それが、息子の日常を支えてくださっている保育所の先生や小学校の先生でもあって…

だから小学校へ上がるにあたり、不安はひとしおだったのです。
 
ずっと安心できる状態というものが確保できないのが、息子と生きる上での困り事。
先生が変わるごとに心配な気持ちは、今も昔も変わりません。

なんとかこの子が笑顔になる道を探すこと…
それだけが私にできることだと思っていた…

こんなふうに思うことはおかしいことだろうか…そう思っていた時に、
我が子の全てを諦める母などこの世にいない。
この言葉を知りました。

救われた気持ちになったことを覚えています。 
それでいいのだと…

息子を育てていく中で、いろんな心の障壁がありました。
それは人の心でもあり、どうして人は人に優しくなれないのか…と。

そのうちに自分にも問うようになり、自分も人に優しくなれないのかと、何がなんだかわからなくもなり、思いもよらぬハードルに打ちのめされもしました。

けども、先の不安に押しつぶされてしまいそうな気持ちを振り払うように、前へ前へ進んでこれたのは、やっぱり息子の存在や周りの暖かな助けがあったからで…

いろんなことを経て今思うこと。

やっぱり息子には生きることの素晴らしさを知ってもらいたい。

いや、今でも感じてるかもしれないですが💦

だってね、息子は今だけを感じて生きてるんです。

空を見て、風が吹いて気持ちよくて笑ったり、ブランコに乗ってはしゃいだり、美味しいものを食べて幸せそうな顔をしたり…

その時をただ感じてる。
明日のことはわからない、目の前のことに全力で挑むだけ…

幸せなことかもしれない。

お金がない、自由がない、あれがこうだ、これがこうだ思わない。
何も持たないことが幸せなのでしょうか…

なのに私は、明日がわからないあなたを思うと切なくもなり、愛おしくもある。

彼は一人では生きていけず、衣食住の介護や、彼への心の支援、気持ちをわかり合う、私達もいろんな気持ちに折り合いをつける…など、
さまざまな難関を家族も共に歩むこととなり、一筋縄でいかないことが現実で、泣きごとを言ってしまう時も多々ある。

だけど、彼はどこまでも澄んでいて、彼を見てると心が癒やされる。
日々の喧騒はどこ吹く風だ。

好き、嫌い、好きの繰り返し(笑)
好きの方が、勝ってる。

そんな息子がもう早2年生。

先生に甘える息子、それを受け入れてくれてくださる先生の姿。
階段を上がり教室は目前なのにだ。

それなのに、彼の今を受け止めてくださっている。

もうしばらくしたら、行けますので、と。
このままでもうちょっといますね…と先生。

その姿を見た時に、胸に尊い温かなものを感じました。

先生みたいに息子の気持ちを受け入れてくださる人ってなかなかいない。

その場のしなきやいけない行動よりも、息子の今の気持ちを優先し、受け止めてくれること。

それは人としても、同じ母としても素晴らしいことだなと感動しました。

彼はやっぱり神様からの贈りもの。
彼がいるおかげで私はそんな純粋な場に立ち合える。教えられる、触れることができる。

無償の愛とはどんなものか…
親と子だけが無償の愛ではない。
他者からの無償の愛ほど深く感動するものはないと思う。

ありがとうと。
心から…

自閉症に知的障がいを伴っている息子くん。
知的には2年生だけど1歳半から2歳児ぐらいの感じです…

思えば彼は産まれた時から人に助けられてきた。
とっても、濃い人生をまだ7年だけど、歩んでいる。

産まれてきた時不安だっただろうね。
その気持ちも胸の中に秘めやって来てくれた。
小さな身体で精一杯頑張っていた姿は忘れられない。

守りたい、守らなければ…と。
そう思わせてくれた。
最初から私に無償の愛とはどんなものなのかということを伝え続けてたんですね。

家族に大切に思われない息子を憐れんだけれど、考えてみれば息子は家族以外に沢山の人達から手を差し伸べられている。

医師や看護師から始り彼の周りには今も、多くの方達が支えてくださり助けてくださっています。

次の先生は、どんな人に出会えるのかな…

今が周りの方々に満たされているだけに心配だ。

不安、希望、渦巻く。

それが人生だというものなんだとしたら…
いつも産まれたての気持ちになる。

逃げたくなる日もあるなこりゃ💦

いろんな雑念を捨てること。
それこそが幸せへの一歩なのかな…

生きることの素晴らしいさを教え続けてくれているのは結局は息子かもしれない…



最後まで読んで下さりありがとうございましたお願い流れ星