数週間前から少しづつ息子の様子が違っていました。
そしてついに五時間に及ぶパニックがありました。
前兆として、大きな声を出してみたり、夜中に起きてみたりがありました…
春の環境変化によるものだと思っていたのです。
だけどそれは彼の心の叫びだったのです。
知らず知らずのうちに、伝える側が否定的な声かけや、制止の声かけが多くなっていたのだと思います。
それは、息子に頑張って欲しい、できるようになって欲しい、わかって欲しいという思いからだったのだと思います。
みんなと一緒というふうに、みんなに合わせることが、息子にとっての制止の言葉がけが増える原因だったのかもしれません。
息子は昼間に言われたであろう声かけを叫びながら、パニックになってしまったのです…。
パニック時は、息子が可哀想で見ていられませんでした。
しんどいのにやめられなくて、自分に爪を立てたり、制止の言葉を連呼して、嫌だった時に戻っていつまでも苦しんでいる…
初めて見る姿に涙が出ました。
大丈夫だよ。ママいるよ。
ダメはおしまいだよ。
(嫌なことはおしまいという意味です。)
と言っても届かない。
名前を呼んでも全く伝わらない…
ああ、息子は辛いって叫んでいる。
このままではいけない。
どうにかしてあげなければ、と思いました。
彼にできることを増やすことは、確かに必要なことだったけれど、そこに「必死さ」は必要なかったのです。
ゆっくりゆっくりで良かったのです。
彼の心をさぐり、心をわかってあげ共感することが、一番最も大切なことだと思うのです。
息子はこれから先、一人では生きれない。
だからこそ、人に寄り添える、寄り添ってもらえなければ生きていけない。
彼の心が落ち着く前提で、できることを増やすことが、母である私の望みなのだとつくづく思いました。
それには先生方のご理解や、お力を借りなければ成り立ちません。
私は慎重に言葉も選ばれなければなりません。
角が立たないように伝えることは、本当に難しいし、息子へのかかわりをご理解頂くことは凄く難しいことです。
だめだけでは伝わらない。
否定的な言葉だけではなくて、○の状況を増やすことが一番大事で、いけないことの理由がわからないがために、正しいやり方を付け加えるをし、しかもやり方を言うだけではなく、手取り足取り教えることが必要になってきます。
こんなことをお願いしなければいけない。
本当に申し訳ないのです。
嫌な気持ちにさせないか、とても不安です。
骨のいる作業で、息子は教えてもできない場合も多い。
だから、ゆっくりゆっくりの気持ちが必要になってきます。
だけど、言わなければならない。
先生は息子のためだと思ってくれていることは私も十分わかっているのですが、今の状況が息子にとってよくないことが、わかってしまった。
どうしても、息子に接するには工夫が必要になるのです…。
療育という場所をどこかお勉強とか、頑張る場所で、過酷なことにも取り組ませるイメージを持ってしまいます。
そんなふうにとっていた私達に、主治医が言ってくださりました。
「療育って難しく考えるからだめなんだよ。
できない子に、どうやって伝えたら伝わるかを考えながら教えていくのが療育なんだだよ。」
学ぶじゃなくて、吸収させて頂くだけ。
「支援する側が頑張る場」
とでも言うのでしょうか…。
先生はいつだって、守る気持ちでいて下さる。
私はなんだか気持ちが楽になった。
かかわりに関しても、
「ダメでは通じない子どもということが、前提にあることを忘れてはいけないね。
身体は五歳でも心は1歳2歳ぐらいなんだと
思って接するほうが合っているし、要は○○君にはどう伝えたらわかるかを探りながら、考え接するのみなんだ。」
とおっしゃいました。
例のごとく、
「スカートめくりする子になんぼ言っても言うこと聞かへんわなぁー。」
という下りもありましたが💦
なるほど…
凄く癒され率が高い…。
先生の言葉が胸に届きました。
私自身も考えを改めて、ダメの経験より、○の経験を増やしてあげ、自信や自尊心を育ててあげることをする。
心の栄養が十分でなければ、人はチャレンジしたり、頑張ったりができないですものね…。
普通という言葉は嫌いだけど、当たり前が当たり前でない。
普通なら言葉でだめで通じることだけど、それが理解できないということを十分に理解することが前提での、教えや工夫が必要になることを、理解して頂く必要がある。
もちろん私も今一度心にそのことを刻みました。
普通の子育てとは違う。
普通に慣れているとそれが難しい。
初めは私がそうだったから、すぐに理解は難しいこともわかる。
このパニックから、私は息子の心の声にいつだって耳を傾けることができる親でありたいと思いました。
できる息子以前に、
「今のありのままの息子」
がとても大事だということをこの状況で思ったのです。
焦らないで…
一歩一歩。
心はいつも一緒だよ。
ママと歩いて行くんだよ。
あなたの生きやすい道を探していこうね。
これから社会に出れば、新しい人に関わる機会が多くなる。
今が終われば、小学校に上がって…
状況が次々変わる。
関わって頂く方に頼ることや、息子に慣れた、気持ちをくんでくれる人を、知らず知らずのうちに求めていたけれど、それだけじゃ息子を助けることにはならないのかも知れない。
それだけじゃなくて、初めて会った人にでも息子の気持ちが伝わる手段を考えてあげることをしなければならなかった。
やっぱりまだまだ私のお勉強が必要だ。
これからは、息子の生活に応じたことに、「サイン」を取り入れていき、言葉と連動で伝えることもしていきたいと思いました。
それが、息子を助けてやれる手段になり、生きる力にしてやれると心新たにしています。
ゆっくりゆっくりと。
読んで下さりありがとうございます
そしてついに五時間に及ぶパニックがありました。
前兆として、大きな声を出してみたり、夜中に起きてみたりがありました…
春の環境変化によるものだと思っていたのです。
だけどそれは彼の心の叫びだったのです。
知らず知らずのうちに、伝える側が否定的な声かけや、制止の声かけが多くなっていたのだと思います。
それは、息子に頑張って欲しい、できるようになって欲しい、わかって欲しいという思いからだったのだと思います。
みんなと一緒というふうに、みんなに合わせることが、息子にとっての制止の言葉がけが増える原因だったのかもしれません。
息子は昼間に言われたであろう声かけを叫びながら、パニックになってしまったのです…。
パニック時は、息子が可哀想で見ていられませんでした。
しんどいのにやめられなくて、自分に爪を立てたり、制止の言葉を連呼して、嫌だった時に戻っていつまでも苦しんでいる…
初めて見る姿に涙が出ました。
大丈夫だよ。ママいるよ。
ダメはおしまいだよ。
(嫌なことはおしまいという意味です。)
と言っても届かない。
名前を呼んでも全く伝わらない…
ああ、息子は辛いって叫んでいる。
このままではいけない。
どうにかしてあげなければ、と思いました。
彼にできることを増やすことは、確かに必要なことだったけれど、そこに「必死さ」は必要なかったのです。
ゆっくりゆっくりで良かったのです。
彼の心をさぐり、心をわかってあげ共感することが、一番最も大切なことだと思うのです。
息子はこれから先、一人では生きれない。
だからこそ、人に寄り添える、寄り添ってもらえなければ生きていけない。
彼の心が落ち着く前提で、できることを増やすことが、母である私の望みなのだとつくづく思いました。
それには先生方のご理解や、お力を借りなければ成り立ちません。
私は慎重に言葉も選ばれなければなりません。
角が立たないように伝えることは、本当に難しいし、息子へのかかわりをご理解頂くことは凄く難しいことです。
だめだけでは伝わらない。
否定的な言葉だけではなくて、○の状況を増やすことが一番大事で、いけないことの理由がわからないがために、正しいやり方を付け加えるをし、しかもやり方を言うだけではなく、手取り足取り教えることが必要になってきます。
こんなことをお願いしなければいけない。
本当に申し訳ないのです。
嫌な気持ちにさせないか、とても不安です。
骨のいる作業で、息子は教えてもできない場合も多い。
だから、ゆっくりゆっくりの気持ちが必要になってきます。
だけど、言わなければならない。
先生は息子のためだと思ってくれていることは私も十分わかっているのですが、今の状況が息子にとってよくないことが、わかってしまった。
どうしても、息子に接するには工夫が必要になるのです…。
療育という場所をどこかお勉強とか、頑張る場所で、過酷なことにも取り組ませるイメージを持ってしまいます。
そんなふうにとっていた私達に、主治医が言ってくださりました。
「療育って難しく考えるからだめなんだよ。
できない子に、どうやって伝えたら伝わるかを考えながら教えていくのが療育なんだだよ。」
学ぶじゃなくて、吸収させて頂くだけ。
「支援する側が頑張る場」
とでも言うのでしょうか…。
先生はいつだって、守る気持ちでいて下さる。
私はなんだか気持ちが楽になった。
かかわりに関しても、
「ダメでは通じない子どもということが、前提にあることを忘れてはいけないね。
身体は五歳でも心は1歳2歳ぐらいなんだと
思って接するほうが合っているし、要は○○君にはどう伝えたらわかるかを探りながら、考え接するのみなんだ。」
とおっしゃいました。
例のごとく、
「スカートめくりする子になんぼ言っても言うこと聞かへんわなぁー。」
という下りもありましたが💦
なるほど…
凄く癒され率が高い…。
先生の言葉が胸に届きました。
私自身も考えを改めて、ダメの経験より、○の経験を増やしてあげ、自信や自尊心を育ててあげることをする。
心の栄養が十分でなければ、人はチャレンジしたり、頑張ったりができないですものね…。
普通という言葉は嫌いだけど、当たり前が当たり前でない。
普通なら言葉でだめで通じることだけど、それが理解できないということを十分に理解することが前提での、教えや工夫が必要になることを、理解して頂く必要がある。
もちろん私も今一度心にそのことを刻みました。
普通の子育てとは違う。
普通に慣れているとそれが難しい。
初めは私がそうだったから、すぐに理解は難しいこともわかる。
このパニックから、私は息子の心の声にいつだって耳を傾けることができる親でありたいと思いました。
できる息子以前に、
「今のありのままの息子」
がとても大事だということをこの状況で思ったのです。
焦らないで…
一歩一歩。
心はいつも一緒だよ。
ママと歩いて行くんだよ。
あなたの生きやすい道を探していこうね。
これから社会に出れば、新しい人に関わる機会が多くなる。
今が終われば、小学校に上がって…
状況が次々変わる。
関わって頂く方に頼ることや、息子に慣れた、気持ちをくんでくれる人を、知らず知らずのうちに求めていたけれど、それだけじゃ息子を助けることにはならないのかも知れない。
それだけじゃなくて、初めて会った人にでも息子の気持ちが伝わる手段を考えてあげることをしなければならなかった。
やっぱりまだまだ私のお勉強が必要だ。
これからは、息子の生活に応じたことに、「サイン」を取り入れていき、言葉と連動で伝えることもしていきたいと思いました。
それが、息子を助けてやれる手段になり、生きる力にしてやれると心新たにしています。
ゆっくりゆっくりと。
読んで下さりありがとうございます