出先で道に寝転がっている方がいました。
その方はゴミ箱の近くでゴロリと壁側を向き横になっていて、裸足の足の裏が真っ黒でした。
わざわざゴミ箱の横に寝転がっているところに私はその方の「闇の部分」を感じました。
後ろ姿だけだったので想像ですが、まだ若く見え、どうしてその状況になられたのかと思えました。
絶望だったり、自暴自棄だったり、明日への放棄、生きる気力のなさ、深い悲しみ、孤独…
そこからいろんな闇が想像ができ、伝わってきました。
そしてそれらは、私がかつて感じたことのある感情でした。
私の中にあるパンドラの箱。
山盛りのタバコの吸殻、煙が充満する部屋。
そこには悲壮感はないんだけど、悲しみが溢れてる。
大人達の喧嘩、助けを求める声なき声、シーンとなった暗い散らかった部屋。
痩せて追い詰めらる姉、隠れてリスカをしてる、していることはわかっているけどわからないふりをする…
余計に刺激してしまいそうで…
人は悲しみから身体を痛めつける行動を取ることがある。
そして裏切りも知る。
誰も信じられなくなった。
だけど、隠す事や恥じらう部分なんてなかった。
楽しいことならなんでも良かった。
知らなくてもいい闇の世界も少しだけ知った。
闇は底を知らない。
真っ暗な洞窟の中で雫が落ちる音にただ静かに身を委ね、身動きができなくても、ただ息を潜める感覚に似てる。
書き出してみたらしんどい状況だったなと思いますが、結婚してからも苦難は続いたけど、私はまだ生きているし立っている。
それは、やっぱり好きなものに出会えたから。
こんな状況でも愛情をかけてくれる人がいたから。
よく取り戻せたし、よく投げださなかった。
だけど、やっぱりこんな状況だったから、どこか心の中が癒されてなくて、墜ちやすいし、マイナス思考になりがち。
パッと見たらそんなことわからないほどのお気楽さと呑気さをかもし出してるけれど、私は孤独を知ってる…。
普段も私はパンドラの箱以外は隠しはしない。
自分の失敗や状況を恥ずかしいなんて思ったことがないから。
失敗して泣く姿もありのままだ。
こんな私なのに、なぜか恵まれていると勝手な妄想から嫉妬されることが多いのです。
確かに仕事の面では大きな心で受け止めて理解して下さる方々がいる、働ける場が与えられていること、とても恵まれていますし、感謝をしています。
だけど理由はあって、私は仕事をせざる得ない運命でもあると思う時があって…
今の仕事を辞めることがあったとしても、私はまた違った形で人と触れあうことをし続けると思います。
人は温かいって気がついたから。
振り返ってみると、酷かった過去。
今は私が話したい、この人が好きだと思う人は魂の部分で共感できる人。
上部だけの付き合いはしなくていいと割りきる冷たさがあって、逆にどうしてもこの人には話したいと思う人には自分から連絡をとることはするし、会いたいと思う熱さがある…
極限的だし、合理的を求めてしまう。
楽しむことに貪欲さがないのだな💦
人と付き合う中でずるさを見てしまったり、人をからかって笑いをとろうとすることへの嫌悪感、嫌な部分が見えてしまうと引いてしまう潔癖すぎる所があってほんとうにそんな所が自分でも直さなきゃと思ってるのです。
人が裏切るところをみたからなのかな…
傷は癒えつつあるんだけど…。
自分は全然できた人間でもないのに、変な正義感や、思い込みが駄目だなと思うのですが、これはもう生きてきた環境によるものだから少しずつでも前向きに進まなきゃと近頃とくに思います。
だってそれじゃ狭い世界になってしまう…
人を信じられないなんて不幸せだものね。
傷つきたくなくて自分を守ってるのだと思います。
いつも大人の顔色を見て気を使いながら生きてたし、日記には死にたいなんて書いていた。
高校生の頃の日記に💦
酷すぎる…
命に対してなんてことをと今ならまったく考えられないしのに、私はいつも墜ちてた。
笑いに囲まれてたから、自分の悲しみは大人にはわからなかっただろうし見せたりはしなかったけれどね…
そんな私に喜怒哀楽、人として大切なすべての感情を与えてくれたのが子供の存在…。
泣いたり笑ったりが自然とでき、感情をだいぶ育ててもらった。
自分以外に人を思いやる気持ち、自分を犠牲にしてでもいいと思える気持ち、全てに対する励みができた。
子ども達の変化や気持ちにとても敏感な自分に驚く。
前の私にはなかったこと。
人生はいつまでも同じとは限りませんね。
良いことばかりが良い結果を生まない。
何もなかったら私は今の私じゃなかった。
好き放題に生きていたと思います。
人の痛みはわかってあげられなかったかもしれません。
今までがあったから、苦しんでいる人には何もできないけど、わかるよ、しんどいよねって共感ができる。
そして何もできないけど、心の中では応援してる。
道に転がってた人も、私と同じ人間だ。
私よかよほどの深度さがあるに違いなかった。
悩み苦しみ、やっとの思いで積み上げてきたその人の今までを、他人から短絡的に結論が出されてしまうことがある。
だけどそれじゃ悲しい。
今の姿が全てじゃないと思うから。
もっと中身を見つめるべきだと思う。
ときどき嫌になる。
明るい思考が欲しいです。
なんだか心がめちゃくちゃ疲れる今日この頃。
日々使う言葉は大切で…。
気がつかない内に人を傷つけつけたり、信用をなくしたり…
ハァー( ´Д`)
もうお手上げ~って何もかもに両手をあげてベッドでお休みしたくなる。
残念ながら、それはできそうにないけれど💦
だけれども、生きてるといろんな気づきがあって…
こないだも療育の先生からなるほどという言葉を頂いた。
嫌いは好きの裏返し。
「苦手」には「得意になる可能性」が秘められている。
素敵なプラスの言葉に胸が弾んだ。
一言一句の中に気づきをもらえるマインドになったのは、息子の存在のおかげで、その日々が私の日常になりつつあります。
毎日毎日がお勉強。
気づき気づかされ生きてる今は、本当は充実しているのかもしれません。
人生は学びって言うけど、本当にそうですね。
私は今日も泣きながら笑いながら、悩み、生きるのでしょう。
どうしても泣きが多いのがなんともなぁ💦
明るい思考をなんとしてでも習得しなければっ💦
私って苦しみや痛みに敏感で娘や息子の不調が私の不調になるから難しいのです…
これは私の課題ですね💦
とにかくなにか初めなきゃです。
言葉の選び方も、相手に伝える術もまだできないことがたくさんある。
ってやっぱりもがくのかな私💦
最後までお付き合い下さりありがとうございます。
皆様の日々が素敵なものでありますように

その方はゴミ箱の近くでゴロリと壁側を向き横になっていて、裸足の足の裏が真っ黒でした。
わざわざゴミ箱の横に寝転がっているところに私はその方の「闇の部分」を感じました。
後ろ姿だけだったので想像ですが、まだ若く見え、どうしてその状況になられたのかと思えました。
絶望だったり、自暴自棄だったり、明日への放棄、生きる気力のなさ、深い悲しみ、孤独…
そこからいろんな闇が想像ができ、伝わってきました。
そしてそれらは、私がかつて感じたことのある感情でした。
私の中にあるパンドラの箱。
山盛りのタバコの吸殻、煙が充満する部屋。
そこには悲壮感はないんだけど、悲しみが溢れてる。
大人達の喧嘩、助けを求める声なき声、シーンとなった暗い散らかった部屋。
痩せて追い詰めらる姉、隠れてリスカをしてる、していることはわかっているけどわからないふりをする…
余計に刺激してしまいそうで…
人は悲しみから身体を痛めつける行動を取ることがある。
そして裏切りも知る。
誰も信じられなくなった。
だけど、隠す事や恥じらう部分なんてなかった。
楽しいことならなんでも良かった。
知らなくてもいい闇の世界も少しだけ知った。
闇は底を知らない。
真っ暗な洞窟の中で雫が落ちる音にただ静かに身を委ね、身動きができなくても、ただ息を潜める感覚に似てる。
書き出してみたらしんどい状況だったなと思いますが、結婚してからも苦難は続いたけど、私はまだ生きているし立っている。
それは、やっぱり好きなものに出会えたから。
こんな状況でも愛情をかけてくれる人がいたから。
よく取り戻せたし、よく投げださなかった。
だけど、やっぱりこんな状況だったから、どこか心の中が癒されてなくて、墜ちやすいし、マイナス思考になりがち。
パッと見たらそんなことわからないほどのお気楽さと呑気さをかもし出してるけれど、私は孤独を知ってる…。
普段も私はパンドラの箱以外は隠しはしない。
自分の失敗や状況を恥ずかしいなんて思ったことがないから。
失敗して泣く姿もありのままだ。
こんな私なのに、なぜか恵まれていると勝手な妄想から嫉妬されることが多いのです。
確かに仕事の面では大きな心で受け止めて理解して下さる方々がいる、働ける場が与えられていること、とても恵まれていますし、感謝をしています。
だけど理由はあって、私は仕事をせざる得ない運命でもあると思う時があって…
今の仕事を辞めることがあったとしても、私はまた違った形で人と触れあうことをし続けると思います。
人は温かいって気がついたから。
振り返ってみると、酷かった過去。
今は私が話したい、この人が好きだと思う人は魂の部分で共感できる人。
上部だけの付き合いはしなくていいと割りきる冷たさがあって、逆にどうしてもこの人には話したいと思う人には自分から連絡をとることはするし、会いたいと思う熱さがある…
極限的だし、合理的を求めてしまう。
楽しむことに貪欲さがないのだな💦
人と付き合う中でずるさを見てしまったり、人をからかって笑いをとろうとすることへの嫌悪感、嫌な部分が見えてしまうと引いてしまう潔癖すぎる所があってほんとうにそんな所が自分でも直さなきゃと思ってるのです。
人が裏切るところをみたからなのかな…
傷は癒えつつあるんだけど…。
自分は全然できた人間でもないのに、変な正義感や、思い込みが駄目だなと思うのですが、これはもう生きてきた環境によるものだから少しずつでも前向きに進まなきゃと近頃とくに思います。
だってそれじゃ狭い世界になってしまう…
人を信じられないなんて不幸せだものね。
傷つきたくなくて自分を守ってるのだと思います。
いつも大人の顔色を見て気を使いながら生きてたし、日記には死にたいなんて書いていた。
高校生の頃の日記に💦
酷すぎる…
命に対してなんてことをと今ならまったく考えられないしのに、私はいつも墜ちてた。
笑いに囲まれてたから、自分の悲しみは大人にはわからなかっただろうし見せたりはしなかったけれどね…
そんな私に喜怒哀楽、人として大切なすべての感情を与えてくれたのが子供の存在…。
泣いたり笑ったりが自然とでき、感情をだいぶ育ててもらった。
自分以外に人を思いやる気持ち、自分を犠牲にしてでもいいと思える気持ち、全てに対する励みができた。
子ども達の変化や気持ちにとても敏感な自分に驚く。
前の私にはなかったこと。
人生はいつまでも同じとは限りませんね。
良いことばかりが良い結果を生まない。
何もなかったら私は今の私じゃなかった。
好き放題に生きていたと思います。
人の痛みはわかってあげられなかったかもしれません。
今までがあったから、苦しんでいる人には何もできないけど、わかるよ、しんどいよねって共感ができる。
そして何もできないけど、心の中では応援してる。
道に転がってた人も、私と同じ人間だ。
私よかよほどの深度さがあるに違いなかった。
悩み苦しみ、やっとの思いで積み上げてきたその人の今までを、他人から短絡的に結論が出されてしまうことがある。
だけどそれじゃ悲しい。
今の姿が全てじゃないと思うから。
もっと中身を見つめるべきだと思う。
ときどき嫌になる。
明るい思考が欲しいです。
なんだか心がめちゃくちゃ疲れる今日この頃。
日々使う言葉は大切で…。
気がつかない内に人を傷つけつけたり、信用をなくしたり…
ハァー( ´Д`)
もうお手上げ~って何もかもに両手をあげてベッドでお休みしたくなる。
残念ながら、それはできそうにないけれど💦
だけれども、生きてるといろんな気づきがあって…
こないだも療育の先生からなるほどという言葉を頂いた。
嫌いは好きの裏返し。
「苦手」には「得意になる可能性」が秘められている。
素敵なプラスの言葉に胸が弾んだ。
一言一句の中に気づきをもらえるマインドになったのは、息子の存在のおかげで、その日々が私の日常になりつつあります。
毎日毎日がお勉強。
気づき気づかされ生きてる今は、本当は充実しているのかもしれません。
人生は学びって言うけど、本当にそうですね。
私は今日も泣きながら笑いながら、悩み、生きるのでしょう。
どうしても泣きが多いのがなんともなぁ💦
明るい思考をなんとしてでも習得しなければっ💦
私って苦しみや痛みに敏感で娘や息子の不調が私の不調になるから難しいのです…
これは私の課題ですね💦
とにかくなにか初めなきゃです。
言葉の選び方も、相手に伝える術もまだできないことがたくさんある。
ってやっぱりもがくのかな私💦
最後までお付き合い下さりありがとうございます。
皆様の日々が素敵なものでありますように