ここまで書いてきて、

自分自身でも自分の軸が存在するのか全く分からない。

 

要所要所で壁が現れ

悩み、考え、

時に解決のためぶつかりに行ったり

時に迂回することを選んだり

考え方も変わったり

むしろ常にゆらゆら揺れ動いているような感じ。

 

大学院に入って、

研究の一連の流れを学んだ。

自ら研究テーマを考え、

検討するための方法を選択し、

その方法の妥当性を検証し、

実際に実験や試験を行い、

得られた結果の真偽を吟味し、

考察を行う。

文献を調べたり学会に参加したりして、

より深い知見を示すことが出来るように準備も怠ってはいけない。

 

また薬剤師免許も持っていたので、

大学院で参加可能だった病院研修や

近隣の薬局でのアルバイト

薬剤師のための勉強にも参加して

研究だけでなく薬剤師としての自分の経験値向上を目指した。

 

大学院では多くの人との出会いがあり、

これは私にとって大きな財産である。

 

また大学院在学中に結婚という人生の転機も迎えた。

 

同時に、様々な問題も抱えることとなる。

 

巷では『ハラスメント』と言われる事項だろう。

これについては後にしっかり書き留めておきたいと思う。

 

それでも歯を食いしばって、食らいついた。

自分で選んだ道に対するプライドだったかもしれないし

ここまでかけてきた努力、費用、時間を無駄にしないためかもしれない。

とにかく前向きに

とにかく諦めない姿勢を貫いた。

 

あと一ヶ月で博士論文審査というある日。

審査に臨むための準備をこれまで周到に行いついに集大成。

思いがけず妊娠も発覚したがちょうど卒業の年だったため、

大学院を出たら一年ほど心身の休息を兼ねて妊娠、出産、育児を楽しもうと思った。

 

だが信じられないことが起こる。

M教授からの一本の電話だ。

 

「PIさん、今年の博士論文審査には出られないと思うわ」

 

意味が分からなかった。

私の四年間はM教授の思い込みとずさんな連絡によって

葬られたようなものである。

これについても後に述べようと思う。

 

こうして大学院の単位はすべて取得したものの学位が取れなかった私は

「単位取得退学」と「卒業延長」の選択を迫られる。

家族、教員らと相談を繰り返し、出した結論は卒業延長だった。

 

 

現在、博士論文のための実験は幸いすべて終了しているため

大学には行ける範囲で通い、後は自宅で悠々自適な生活を送っている。

薬局のアルバイトも続け、

運動のためバレエにも通っている。

また、趣味で続けている似顔絵描きも毎月決まったオファーがあるので

日々色々なことを回しながら生活できておりとても充実している。

 

だが、学位に対する熱意はもうどこにもない。

 

妊娠を機に考え方が大きく変わったという見方もあるだろう。

だが私が思うに、

大学や教授に対する信用が地に落ちたため

努力する気が一ミリも起こらなくなってしまったと考えている。

 

 

いかがだっただろうか。

結局のところ、

私には軸というものはほぼ何もないような気がする。

 

あるとすれば、

心が折れそうなときに自分を立て直す強さがあることと

状況に応じて考え方を変え柔軟に生きることが出来るという

流動的なものだと思う。

 

首尾一貫しない考え方に見えるためしばしば誤解を招くが、

最終的に自分が納得できれば別にいいではないか、というのが今の私のモットーだ。

心に傷を負って、そこから復活した時に思ったことだ。