夫の椅子が大のお気に入りなこはるちゃん。

どいてよ〜。

 

 

さて

 

私も高校生になり、就職し、社会へ出て色々な人に出会うようになって。

義理兄のことを考えなくて済む日も多くなっていった。

 

けれどふとした瞬間に、ふとしたシーンで、記憶が蘇ることは多々ある。

目にしたもの、誰かの話、匂い、音。

 

たった一瞬で苦々しい感情が噴き出してくる。

声を出さずにいられなくなって、他人に聞こえないよう低く、

あーとかうーとか呻くこともある。

 

不思議だ。

なぜ、覚えていたいことは忘れてしまうのに、苦しかったことは消えないのだろう。

 

記憶の入っている引き出しは鍵がかかっていない。

何かのはずみでうっかり開くと、当時のまま色褪せていない思い出がフラッシュバックする。

 

そんなものに怯えながら生きる。

数年経ち、数十年経ち、今に至る。

 

色々な経験をして、たくさんの苦難を乗り越えて生きてきた自負がある今は

自分の中での戦いに勝つこともあるし、支えてくれる夫もいる。

 

けれど、それはつい最近のこと。

20、30、40代と、いつもどこかにバックグラウンドとしてあの忌わしい経験が付きまとっていた。

 

あの経験があって、今の自分が作られている。

何度思っただろう、

あの経験さえなければ、こんなことで思い悩む自分にならなくて済んだのに。

 

「過去のことをいくら悔やんでも何も変わらない。これからのことを考えよう。」

 

よくそんなことが言われるけれど。

 

過去の経験が今の自分を作っているとしたら、

過去と今はどうしても切り離して考えることが出来ない。

 

切り離さなくていい?

それは過去、あの経験も自分の中に受け入れるということ?

 

それにとらわれることがが辛いから、忘れたいと思っているのに。

 

 

ぐるぐる、混沌。

 

 

昔はよく、自分がどうしたら楽になれるのかがわからなくて、

まとまらない考えに頭も心も混乱し、混沌の中に落ちていた。

 

「ノルウェイの森」という、村上春樹さんの小説がある。

 

その中で、恋人を自殺で亡くした直子という女性が

「歩いていて、いきなりマンホールの中にすとんと落ちてしまうような感じ」

というようなことを言っていて、ああその気持ちとてもわかる!と思ったものです。

 

あの小説に出てくる人物の気持ちは、

どの人の気持ちも、自分にはわかり過ぎるくらいよくわかって。

嬉しいような、苦しいような気持になる。

 

私の混沌とした思いの答えが、書いてあるような気がする。

 

(本は良かった。でも映画はイマイチだったなあ…)

 

数十年経った今でも、お守りのようにずっと傍に置いてあります。

すっかり色が変わってしまった文庫本。

 

 

とにかく私は長いこと、答えの出ない自問自答を繰り返し

心では泣いたり迷ったり叫んだりしつつも、顔では笑って、何事もないかのように生きてきた。

 

その頃の写真は、いや小さい頃からずっと、いつでも。

私はいつも引きつった、不安げな顔で写っている。

 

なので、ほぼ持っていない。捨てた。

 

卒業アルバムすら捨てた。

その頃を思い出させるものは要らないと思った。