最近、相次ぐまとめ記事サイトの閉鎖が話題になっていますね。
最初はほんの数件だったサイトがいつの間にか乱立。
仕事柄、事実確認をネットで検索しなければならないことが多いのですが
最近は上位に上がってくるサイトが、ほぼほぼ、まとめ記事サイト。
肝心の一次ソースを洗いたくても、まとめ記事の羅列の中に埋没してしまって
検索するのに手間取るようになっていました。
これだけ乱立するということは、それだけ需要があることなんですよね。
確かに非常に簡略化されてすっきりした記事なので、
一瞬で流れを把握できます。
でも、これって非常にキケンだと思うんです。
確かにネットの普及で情報量が爆発的に増えてしまい、
何をどう得れば良いのか、逆に情報収集に手間取ってしまう一面もあるでしょう。
でも、第三者がまとめた記事は、
誰かのフィルターを通しての情報を読むことになります。
そこには、本人が意図しなくても、作為が入ります。
署名記事ではないし、サイトのカラー、バックグラウンドもわからないので
私は、そこに不気味さを感じてしまいます。
それに、まずその情報の出どころ自体が不明瞭。
なのに、さも事実として書かれている怖さ。
普通のちゃんとした記事や本なら、必ず出典元の記載があります。
震災後、世の中に出回る情報について考えさせられました。
いわゆるメディアが出しているものが、果たして正しいと言えるのか。
一方、それらをたたく情報も、どこまで正しいのか。
いろんな情報をいかにニュートラルな立場でピックアップし、組み込んでいくか。
その情報収集力がこれからの時代は欠かせない。
情報が多い時代だからこそ、その中から賢く取捨選択をしなければならないのに。。。
そのためには自分で実際にたくさんの情報に触れて
情報の質を見極める目を養わなければいけないと思うんです。
実は最近、あるネット記事を書きました。
まとめ記事とはまたちょっと違う系統の記事でしたが、
ネット上での文字、情報の取り扱われ方の軽さに驚きました。
ネット上では文章の表現云々より
いかに上位にヒットする文言を織り込むか。
オリジナルより、検索される言葉、内容を盛り込むことが求められている。
紙媒体も売れる物を作るという視点に立っていることは一緒ですが
クオリティーは二の次(ついでにモラルも)
検索の上位にくいこむための手法があまりに露骨な感じがしてしまいました。
文章は本来自ら生み出す、作り上げていくものなのに
どこかから、引っ張って寄せ集めていくことが主流になる時代。
そこに抗うことは、不可抗力に近いのか。
ネット環境に慣れ親しんで育った世代が中心の世の中になったら
文章、情報のあり方は、どうなっていくのだろう。
ふと、まとめ記事サイト閉鎖のニュースを読んで
そんなことを思いました。