五十六億七千万 | 猫別当小烏丸

猫別当小烏丸

具一切功徳 慈眼視衆生

福寿海無量 是故応頂礼

法滅尽経
 私は、このように聞きました。
 ある時、世尊はクシナガラという所におられ、ちょうどお亡くなりになる前でありました。
 たくさんの修行僧たちと書き尽くせないほどの大衆が、世尊のもとにお集まりしていました。
 世尊は静かにしておられ、教えを説こうともせられず威光も現われず、ただ黙っておられました。

 賢者の阿難は、世尊に礼拝してお尋ねになりました。
 「世尊は、いつでも説法をお聞かせ下さり、いつもは威光が現われていらっしゃいます。
 こうして、大衆が集まりましたのに、今は光明も現われません。
 これには何か深い理由があると存じますが、どうぞ、その心をお聞かせ下さい」
 このように申し上げました。

 世尊は、阿難に次のようにおっしゃいました。
 「私が亡くなった後の事であるが、仏法が滅しようとする時、重罪を犯す者が多くなり、魔道が盛んになるであろう。
 魔類が僧侶の格好をして教団や仏教徒の中に入り込み、仏法を内から乱し破壊していくだろう。
 魔僧は、俗人の衣服を着て、袈裟も定められた以外の服を喜んで着るようになる。
 魔僧は酒を飲み、肉をむさぼり食らい、生き物を殺して美食を追求する。
 およそ慈悲心など全くなく、仏の弟子たる僧たち同士、お互いに憎んだり妬んだりする。
 そんな末法の世の中でも、まともな菩薩・聖者と呼ばれる人たち・尊敬に値する人たちが出現し、精進修行して徳を修めるであろう。
 世の中の人々は、皆、彼らを敬いあがめたてる。
 すべての人々を平等に教化し、貧しい人を哀れみ、老人を労い、頼るべき人がない者を救済し、災難に会った人を養うであろう。
 まともな菩薩らは、常に経・仏像をもって、人々に奉仕することの大切さを教え、仏さまを礼拝することを教える。
 菩薩は、多くの功徳を行い、その志と性質は仏法にかなっており、人に危害を加えない。
 自分の身を犠牲にしても人を救おうとし、忍耐強くて人にやさしい。

 もし、まじめに仏の教えを実践している人がいるとすれば、魔物の身代わりの僧たちが、皆、これを妬み、非難し、悪口を言う。
 そして、世間に彼の欠点をほじくり出して吹聴し、お寺から追い出す。
 菩薩の道を実践する僧たちが目の前からいなくなれば、魔の僧たちは寺を荒れ放題にしておくだろう。
 魔僧は、自分の財産や金銭をむさぼり貯える事ばかり努め、福徳など全然行わず、衆生を傷つけ、慈悲心など全くなく道徳などもない。
 彼らは淫乱な事をし、男女の区別なく悪業を働く。
 仏法が衰えていくのは、彼らの仕業である。
 徴兵や税金の取り立てから逃れる為に僧侶となることを求め、修行僧の格好をしていても実は修行なぞしていない。
 お経を習わず、例え読める人がいたとしても字句の意味も分からない。
 よく分かっていないのに有名になりたがり、他人から褒められようとし、智慧や徳もないのに容姿だけは堂々と歩いて見せ、人から供養される事ばかりを望む。
 こういう魔僧は、死後に無間地獄に落ちる。

 仏法が滅しようとする時、女人は精進して常に徳を積むが、男子は怠けて信心がない。
 仏法が滅ぶ時、天の神々はみな涙をこぼし、泣き悲しむ。
 作物という作物は実をつけなくなり、疫病が流行し、死んでいく者も多くなって人々は苦しむ。
 税金は重くなって、道理に合わない税のかけ方をする。
 悪人が海の砂の数より多くなり、善人は一人か二人になる。
 世界が最後になる寸前には、日月が短く、人の寿命も段々と短くなって四十歳で白髪になる。
 男子は淫乱にして、精も尽き若死にするようになり、長生きしても六十歳ぐらいであろう。
 女子の寿命は八・九十歳、あるいは百歳となる。

 時に、大水がにわかに起こり、富める者も卑しい者も水中に漂い魚の餌食となるであろう。
 菩薩や聖者たちは、魔僧たちに追い立てられ、福徳の地へ行く。
 菩薩や聖者たちは、しっかりと教えを守り、戒めを守り、それを楽しみとする。
 その人たちは寿命が延び、諸天が守って下さる。
 そして、世に月光菩薩が出て五十二年の間、仏法を興す。
 しかし、段々と滅っしていき、その文字を見ることも出来ないのだ。
 修行僧の袈裟の色も白に変じる。
 仏法が滅する時は、例えば油燈の灯が油のなくなる寸前、光が盛んになるのと同様である。
 これ以上は、説いて聞かせることが出来ない。
 その後、数千万年たってから、弥勒菩薩が下ってきて仏となる筈である」

 賢者阿難は、世尊に礼拝して、
 「このお経は何と名付けられますか」とお尋ねいたしました。
 世尊は、「阿難よ。この経の名は法滅尽経となす。誰にでも説いてよろしい。そうすれば、功徳は計り知れない」
とおっしゃいました。
 世尊の説法を聞いた人たちは、皆、悲しみ沈みました。
 だからこそ、今のうちに無上の道を修めようと発心した。
 そして、皆、世尊を礼拝して退座していった。