映画を観てしばらく経つ。
余韻がなんとなく心の隅に残っていて
もう少し話したいなという気持ちになった。
トラン・アン・ユン監督がこの映画において
会話のシーンを一体どのように演出するの
か。僕が一番興味があったことだ。
なぜなら原作は小説。とりわけ会話部分は
春樹独特のリズムで、もし現実で為された
としたら明らかに不自然なものであるから。
そこは監督が巧かったと思う。
感情の抑揚を極力排除させた棒読み調、
とでも言うのかな。
かつて映画化された『トニー滝谷』でも似た
ような感じだったような記憶がある。
春樹の描く会話を現実に表現するとしたら
その方法しかないように思う。
もちろん賛否はあるだろうけれど。
小説からの引用で劇中交わされた会話が
パンフレットにあったので抜粋する。
抑揚の無い棒読みでやや早口を意識して
音読すると映画での会話が再現できる。
ワタナベ
「君にとって、愛ってなに?」
緑
「たとえば今私があなたに向かって、苺の
ショートケーキが食べたいって言うとする
でしょ。そしたらあなたは何もかも放り出
して、走ってそれを買いに行って、そして
ハアハアしながら戻って来て、それを私
に差し出すの。そしたら私は『ふん、もう
こんなものなんていらなくなっちゃったわ
よ』って言って、それを窓の外に放り投げ
るの。私が求めているのはそういうものな
のよ」
ワタナベ
「そんなのは愛とは何の関係もないような
気がするけどね」
緑
「あるの! 私は相手の人にこう言って欲
しいのよ。『わかったよ、緑。僕が悪かった。
僕はロバみたいに馬鹿で無神経だった。
お詫びに何か別のものを買いに行ってあげ
よう。何がいい? チョコレートムース、それ
ともチーズケーキ?」
ワタナベ
「するとどうなるの?」
緑
「愛してあげるの」
このシーンはわりと好きで印象深かった。
まあ、自分が直子より緑が好きというのも
関係しているけれど。
余韻がなんとなく心の隅に残っていて
もう少し話したいなという気持ちになった。
トラン・アン・ユン監督がこの映画において
会話のシーンを一体どのように演出するの
か。僕が一番興味があったことだ。
なぜなら原作は小説。とりわけ会話部分は
春樹独特のリズムで、もし現実で為された
としたら明らかに不自然なものであるから。
そこは監督が巧かったと思う。
感情の抑揚を極力排除させた棒読み調、
とでも言うのかな。
かつて映画化された『トニー滝谷』でも似た
ような感じだったような記憶がある。
春樹の描く会話を現実に表現するとしたら
その方法しかないように思う。
もちろん賛否はあるだろうけれど。
小説からの引用で劇中交わされた会話が
パンフレットにあったので抜粋する。
抑揚の無い棒読みでやや早口を意識して
音読すると映画での会話が再現できる。
ワタナベ
「君にとって、愛ってなに?」
緑
「たとえば今私があなたに向かって、苺の
ショートケーキが食べたいって言うとする
でしょ。そしたらあなたは何もかも放り出
して、走ってそれを買いに行って、そして
ハアハアしながら戻って来て、それを私
に差し出すの。そしたら私は『ふん、もう
こんなものなんていらなくなっちゃったわ
よ』って言って、それを窓の外に放り投げ
るの。私が求めているのはそういうものな
のよ」
ワタナベ
「そんなのは愛とは何の関係もないような
気がするけどね」
緑
「あるの! 私は相手の人にこう言って欲
しいのよ。『わかったよ、緑。僕が悪かった。
僕はロバみたいに馬鹿で無神経だった。
お詫びに何か別のものを買いに行ってあげ
よう。何がいい? チョコレートムース、それ
ともチーズケーキ?」
ワタナベ
「するとどうなるの?」
緑
「愛してあげるの」
このシーンはわりと好きで印象深かった。
まあ、自分が直子より緑が好きというのも
関係しているけれど。
レコード盤みたいなパンフ。
この映画については原作に
個々の思い入れがあるだろうから
あれこれいうことにあまり意味が
無いのでしない。
最悪な人には最悪で素敵な人には
素敵なのだと思う。
一つだけ。
僕には、良い出来に思えた。
トラン・アン・ユン監督の
別作品を観て予習してたし
彼の作る空気感も好きだ。
緑を演じた水原希子が特に良かった。
緑のイメージは固定し易い。
それとちょっと違うのが逆に新鮮だった。

