無言の言
                  
クリエ

君達が常に考え、思い、感じるということが、いかにナンセンスであるかと言うことについて話してみよう。
もともと君達の思考がどのような回路で成り立っているかということを、君達は理解する必要があるだろう。

生まれた時、貴方は無言だった。これはとても重要なことである。
それは語る以前に、考える以前に、思う以前に、君達は生まれたその瞬間に光輝を全体に放っていた。
そして君達が年齢を重ねるに従って、思うこと、考えること、感じることに光輝が失われていった。
君達はいつの間にか、考えること、思うこと、感じることを優先してしまった。
そしてそれ以外に、君達は君達自身を取り戻す術を見失っている。

君達はどこに行ったんだろう?
そして君達はこれからどこに行こうとしているんだろう。

中心を見失った君達の行き着く果てがどこであるのかを、私はあえて語らない。又、語りたくない。

君達の言葉がどこから流れてくるのか、思索したことがあるだろうか?

君達は語る。常に語っている。
しかしそれは大海の滴一つにも満たない小さな小さな閉鎖的な世界から発信している言葉である。
これから伝えることをよく注意していただきたい。

     君達の語る言葉はすべて虚偽の言葉である。

君達は非常に狭い視野の観念の中でのみ語っている。
その狭い視野の中でどれほどの語らいを行おうが、どれほどの議論を重ねようが、明快なる答えを見出すことは不可能である。
君達の何人がこの道理を理解しているんだろうか?

君達の心の中は常に問題だらけである。
どのように平静を装ってもすぐに仮面が剥がれる。
いま安定していても、何かのきっかけによって、その安定は砕け散る。

常に他者の状況が気になって仕方が無い。
常に周りのことが頭からいつもはなれない。
このように君達は常に君自身を見失い、ごたくの海に溺れていることすらも気付かず、それを ・ ・ ・ その状態を君自身の全てだと信じ、疑わずに語りつづけている。
このような分裂した君達の語らいがどれほど有意義なものなのか、そしてその状態における語らいが君達の未来にたいして、又、君達の子孫にたいして、どのような果実を与えるのだろうか?

     君達は一度でも真剣に考えたことがあるだろうか?

君達の想いが、君達の未来に、そして君達の子孫に、どのような影響を与えているのか・ ・ ・ 考えたことがあるのだろうか。
君達の一挙手一投足が、人類の未来を決定し得る因なっていることを、理解出来る人が何人いるだろうか。

結局君達は、君達自身をもてあまし、君達自身に振り回されているのが、君達のいつわざる現実だといえよう。
そのような井の中の蛙式人間には、君達の今この瞬間の思いが、人類の未来に子孫に、多大なる影響を与えているという道理に気付く余裕もないであろう。
そのような人間に何が出来るというんだろう。

君達自身の思考回路が分裂し、首尾一貫性の無い願望を満足させることしか頭になく、自分が完成することしか頭になく、口では成長したいと望んでいながら、もう一つの口ではレベルアップした自分を人に見せたいという虚偽の願望に振り回されているいることに気付かず、又、貴方の家庭は平安で、他者の家庭が問題の渦中に在るとき、貴方はその家族から被害を受けたくないと願望し、その虚偽に気付かないであろう。

又、今貴方の人間関係がスムーズにいっているとき、その人間関係を壊す人間を貴方は拒否するであろう。
一方の口では人間関係がスムースにいっていることを神に感謝し、もう一方の口では、その人間関係を壊す人間は許さないという差別思考に囚われているという君の分裂した思考回路に、君達は気付いているだろうか?

君達が、君達以外の人間のことを考えた瞬間、それは虚偽に変化する。
何人の人がこの道理に気付いているんだろうか?
低俗なところでは、人のあら探しを神の言葉にすり替えて語る人間がいる。
人のあら探しをする人間ほど、悲しく哀れで貧しい人間はいないだろう。
そしてそれを神・創造の言葉にすり替えて、尤もらしく人に語る人間がいる。
君自身がその一人であることに気付いているだろうか。

子供の幸福を願い、その反面では、子供に不幸な目に合わされることを恐れている。
子供から不幸な目に合わされたくないという願望の中に、君自身生きているということが理解できるだろうか?
今、君に与えられている立場を失うことを君は最も恐れている。
そのような君が心の中に存在していることを、君は多分気付かないだろう。
そうして君は、無限の中に有限の孤立した世界を作り上げ、さらに神・創造からかけ離れていく人生を選択していることに気付かないだろう。

このように、君達の心の中は分裂極まり無い世界である。
その世界からどの様な言葉を語ろうが、それは更に分裂した世界を作っていく ・ ・ ・ ということが、神・創造に背を向けた哀れ極まり無い行動であることすら気付かないであろう。

     結局君達が何を求めているのか、私は正直言ってわからない。

君達の心の仮面をかなぐり捨てることが、それほど恥ずかしいことなんだろうか。
苦しいときは君一人が苦しい訳でもなく、悩んでいるときには君一人が悩んでいる訳でもなく、恥ずかしいときは君一人が恥ずかしい訳でもなく、君達と同じように悩み、苦しみを感じている人が、この地球上にどれほどいるのだろうか。

     一度でも、そういうことを考えたことがあるのだろうか?

いつまでたっても個人的感情に振り回され、私だけが苦しいと、私だけが恥ずかしいと、私だけが悩んでいると、甘ったれるのも好い加減にしろ!

     少しは目を覚ませ!どこまで、君自身をいつわったら気が済むんだ!

結局君の心の中は自分さえ良ければそれで良いという、甘ったれた小児病患者の域を卒業していないのだろう。
常に人間というものは自分のことを知ろうとせずに、他人のことばかり気になる始末におえないものである。
どれほど素晴らしいことを語っても、そんなものは一体何だというんだ。

     君自身が神・創造であることは間違い無く、それは真実である。
     神・創造とは、全てを受け入れ、全てを許容する。
     全てを肯定する大らかな生命の源である。

ところが現実に生きている人間は、その大らかさからかけ離れ、自分の虚偽の姿を人に見せまいとする策略のみに終始しているのが現実である。
ここで重要なのは、現実に生きている人間は、常にそのような虚偽の策略に振り回され、人類の未来のことも、子孫が少しでも大らかに負担感無く生きてもらいたいという願いを失い、君のこの瞬間のそれらの思いが、人類の未来に、子孫に、多大なる影響を与えていることを忘れ、分裂した思考回路の味方をしている。
おめでたいとしか言いようの無いていたらくである。
     
     神・創造を語るならば、
     今現在の君の虚偽に満ちた姿を君の目ではっきりと見なさい。
     君がもしそれを受け入れたなら、未来の人類も解放され、子孫も又解放される
     君よ!君自身の手で呪縛を解き放ってごらんなさい。
     それを行う君を、
     神・創造は暖かなるほほえみをもって、ごらんになっている ・ ・ ・ 


                                  (水瓶座讃歌  №27より)