レベルの詩
レベルの詩 時間の冒険刻一刻と時間が刻まれていく。刻一刻と大河に向かい、時間は刻まれていく。十年、二十年、三十年、百年、二百年、三百年、千年、二千年、三千年、時間は刻々と流れていく。目に見えるもの全てが時間に刻まれ、大河に吸収されていく。全てが消え失せ、生きていたことすらも忘れ去られ、誰もその人のことを覚えたはおらず、全ての経験が泡の如く消え失せ、存在することすらも、喜びすらも、遥か遠い記憶となり、その記憶すらも消え失せ、この瞬間すらも消え失せ、全ての希望が消え失せ、人間の在り様がいかに変化していこうが、人類がこれからどこに歩んでいこうが、時間は容赦なく全てを消失させ、大河に飲み込まれていくことだろう。この瞬間も時間は刻一刻と時を刻んでいく。何も残せないし、何も残らないだろう。確かに貴方の人生に、人生という物語が在ったかもしれない。それは悔いの無い満足出来うる人生であったかもしれない。しかしそれも泡の如く消え失せる日が必ず訪れるのである。時間は更に時を刻み続ける。容赦なく淡々と時を刻み続ける。貴方は喜びをもって生きていたという証明を、そしてその確認を欲しがるかもしれないが、しかしその最中においても、時間は刻一刻と刻み続ける。貴方の要求は泡の如く消え失せ、貴方は何一つ残すことは出来ないだろう。それでも貴方は瞬間を生きる学びをするかもしれない。それでも貴方は、喜びに満ちた日々を送ろうと努力するかもしれない。貴方には何がしかの目標があるかもしれない。その実現に向けて生きるかもしれない。しかしその瞬間も時間は容赦なく時を刻み、全ての行動は大河に飲み込まれていくことだろう。貴方は人生に何も残せないし、何も残らないだろう。地球の外に出て、外からの地球の時間を眺めてみることにしよう。地球にはいくつもの国家がある。アメリカは一つの国家であるが、その広さゆえにいくつもの時間軸を持っている。これは実に神秘だ。貴方が日本で生活しているならば、日本の時間軸を環境として生きる事になる。しかし地球の外に出て、地球の時間軸を見渡してみると、1から24その全てが同時に存在し動いていることが理解できるはずである。つまり今、日本が朝の6時ならば、その6時の中に全ての時間が含まれていることになる。たまたま選択している時間が6時であるだけの話であって、それは動かしがたい固定された6時ではない。地球の外に出て全体から時間を見渡してみると、時間の針は一秒も動いていないことに気付く。これは神秘だ。貴方は時は刻まれていくものだと信じているようだが、それは間違いである。実は今この瞬間も時計の針は止まったままなのである。しかしそれは動いていないことではない。超高速に動いているが故に止まっているように見えるだけである。貴方は動きという変化の中で自分自身を見失っている。貴方は、動き ・ ・ ・ つまり時間を恐れている。それは死を暗示するからである。そして現実的には、いろいろな不安、いろいろな問題を時間が運んでくるからである。ローン返済がいい例 である。それはお金自体に問題があるのではなく、何月何日に支払うという、時間に問題があるということである。つまり貴方にとって時間こそが人生全ての中心なのである。こんな馬鹿げた話があるだろうか。貴方は人生を喜びとくつろぎをもって生きるよりも、時間に支配されることを望んでいる。貴方にとって時間こそ宗教であり、貴方は今もそれに気付かないでいる。全く馬鹿げた話だ。こんな下らない話が今もまかり通っている。面白い。貴方は人生がそのように動いていることを知っている。,しかし、地球の外に出て、全体から時間を見つめると、全ての時間が同時に現れていく。更に複雑な時間が同時に存在していることが明らかになる。よく認識したまえ。貴方の時間には右回りに数字が刻まれ、針はその時間に向いている。これはつまりこういうことだ。貴方にとっての真理とは、ただ単に衣食住の確保であり、その為に精神世界を利用しているだけなのである。貴方は実は覚醒に対して何一つ興味を持っていない。ただ衣食住の確保のためにのみ、人生を生きている。そこには神秘のかけらも存在しないだろう。何故ならば、衣食住は宇宙の玩具に他ならない。それは子供がデパートのおもちゃ売り場に行って、おもちゃをせがみ、買った瞬間喜び、つぎの瞬間には飽きてしまう。衣食住とは、全く子供のそれとよく似ている。それを確保する? ・ ・ よくこういうことを口にする。しかしやはり現実は、その人たちの現実は、全く馬鹿げた現実だ。衣食住こそ唯一努力なくして手に入れることの出来る創造の恩恵である。しかし貴方はあいも変わらず同じ繰り返しだ。地球で瞑想する人を探すのは難しい。これは真実だ。貴方は自分自身のことを針の先であり、その数字だと信じて疑わない。それは貴方にとって絶対的真実だ。そして貴方は途方もないくつろぎを取り逃している。貴方は常に途方もないくつろぎを取り逃がしてしまっている。時計を見る時には、時計の針の行く先ではなく、その針を動かす中心に目を向けてご覧なさい。そうしないと、貴方は相変わらず右回りの時計の針を人生の全てだと錯覚し、喜びを好き好んで取り逃がすことだろう。よく考えてご覧。貴方は感謝に対して何に感謝していると思うかね?・ ・ 衣食住にだ。衣食住にだ。地球人にとって、何らかの助言をしてもらい、何らかの問題が解決するかもしれない。そして感謝するだろう。しかし、それも行き着く先は衣食住なのである。実は貴方は、今も難民であることに気付かないだろう。全ての感謝の対象はその衣食住に注がれている。時間 ・ ・ 即ち衣食住こそ貴方の中心の全てであり、それは難民のそれとさほど変わらない。それは病である。貴方はその衣食住をどこに持っていこうとするのだろう。肉体そして地球という環境 ・ ・ ・ これ以上の衣と住はない。酸素 ・ ・ ・ これ以上の食はない。勘違いしないで欲しい。仙人のように暮らせと言っているのではない。貴方がただ嘘をついて学んでいる ・ ・ そのことに注意を与えているだけである。そのことを ・ ・ ・ 衣食住に中心を置くことを否定しているのではない。それも宇宙のドラマの一つである。むしろ歓迎すべき客として、宇宙はそれを受け入れている。しかし貴方はそれに対して、そこから離れる為に学んでいると言うかもしれない。それが嘘なのである。人類はこれから、白と黒とに分けられていく。中心をどこに置いているかを常に把握しなさい。それだけで良い。善悪の教義に人は大金を支払うことが出来る。最近マスコミを賑わしてた宗教がいい例だ。つまりこういうことだ。大金を支払うことによって、身ぐるみはがされたように考えるかもしれないが、確かに物理レベルではそうだろう。しかしそれは大金を支払い、物理的執着から離れるような錯覚に陥らせてしまう魔法だ。大金を支払った彼らは、その結果自我の強化という財産を手に入れたことになる。これが地球上における宗教のカラクリだよ。しかし善悪を超越した教義に対して、人は決して大金を払おうとはしない。何故ならば、物理レベルで支払うことは、同時に潜在意識レベルにおいて支払うことになるからである。つまり、大金を支払うことは、イコール自我を支払うことになり、肉体に中心を置いている、衣食住に中心を置いている人にとって、それは恐怖である。貴方はまだ裸の王様か?善悪に生きるならば、それを全うしなさい。善悪を超越して生きるならば、それを全うしなさい。そろそろはっきりすることである。 (水瓶座讃歌 № 36号 より)