暮らしのひとこま

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こんにちは。長くご無沙汰しています。
今日も発信のみの記録として、失礼します。

3月、2回目の胸水ドレーン排出の為、入院していました。
退院後、体調が優れず、今は起きていることもなかなかしんどくて、1日をベッドで過ごしています。

主治医からの説明を受け、娘が家事や食事の用意をしてくれているので、なんとか暮らしていること、兄夫婦の力も借りながら、日々を過ごしています。

娘には、勤務もありながら、offの時間をほとんど家事や食事の支度に使わせてしまっていること、本当に申し訳なく、同時に感謝でいっぱいです。

もう、お仕事も無理なので、完全廃業致しました。お客様には長くお世話になり、本当に心より感謝の思いで一杯です。

昨日、主治医が今月末に転勤になるため、最後の受診に行きました。
主治医と、最終的に治療の選択を決めなくてはならなかったのですが

やはり、私は抗がん剤はしないと意思を伝えました。

今、娘が、一生懸命ご飯を作ってくれています。今までの生涯で初めてです。
娘が作ってくれるご飯を食べれる幸せは、何ものにも代えがたく、貴重な宝物のような幸せな時間です。

この時間に勝る治癒の力は何処にもない。

そして、もう治療に耐えられる体も心も力がない

主治医が、昨日、初めて言ってくれた言葉が胸にしみました。
「副作用の少ない治療を希望されていること、それも正解です、何を選んでも正解で、正解はひとつじゃない」

この言葉に救われました。

今まで、癌よりも、治療の副作用に苦しんで来ました。
時には打ちきり、時には拒絶し、主治医が勧めてくれる選択を断り、わがままな意思を貫いてきました。

しかし、全ては間違いではなかった。
選択の権利は自分にあり、その選択の中に、

自分がどのように生きていたいかを常に主治医に伝えてきました。

私が望んだことは、治療によって日常を失うことを是としない、
どんなに数字的に効果があっても、副作用により寝たきりで嘔吐や下痢、白血球が下がることでの様々な障害、起きていることもままならないような時間を過ごすことは、昨日まであった日常を失う虚しさに、空虚なままただ生きている時に、治療の意義を見いだせなかった
そして、生きるためには仕事をしなくてはならなかった。仕事が出来なくなるような治療は選択肢から避けてきた。


医療とは、健康を回復するべきもの
メリットより、デメリットが多すぎるものは、私には必要ではなかった

苦しみながら延命するより
人間らしい日常と生きている営みの暮らしの質を何より望んだ

最終段階に入り、私が選んだ選択は
延命より、日常のささやかな幸せ

日常こそ、幸せの原点
人間らしい暮らしをしたい

もう、薬で苦しめられるのは私の意には添わないと自分に誓い、主治医に会ったので

余計に、全ての自分の選択は正解であると
最後に最高の贈り物(言葉)をいただいた。

我が儘な患者であったろうに、長くお世話になったお礼を、目をまっすぐに見てお伝えした。
涙が頬にこぼれたが、心から礼を尽くして言葉にした。

有給を取り、車イスを押してくれる娘にも感謝が溢れた。

家に帰宅したら、娘がカレーを作ってくれた。
真心がこもっていて、本当に美味しかった。

何を選んでも正解
癌センターに13年、お世話になってきたが、医師からもらった、一番癒された言葉であった。
実に、主治医が大医であったと、実感した主治医とのお別れであった。

大医に診ていただけていたんだと感謝に溢れた1日であった。