八ヶ岳中腹に住んでいた頃は、毎年5月中旬になると郭公が鳴き出した。
湖畔の白樺林で聴くその声は如何にも長閑で、長い冬から解放された春の歓びを実感させて呉れた。
しかし遠くから聴こえるのは良いが、庭に来て鳴き出されたら喧しいだけだった。
詰り、或る程度の距離感と音量次第では素晴らしく感じられたが、近いと騒音でしか無かった。
他の杜鵑類の声は不気味(筒鳥)であったり、煩かったり(時鳥、慈悲心鳥)で聴きたくもない。
今、住んでいる芦屋の家の庭にも数年前迄は郭公初め色々な杜鵑類が来て来たが、最近は時鳥以外は時折筒鳥と慈悲心鳥が訪れるだけで郭公の声は殆ど聴かれなくなった。
時鳥が庭に来るのは、多分鶯に托卵するのが目的だろうと思われる。
托卵にはそれ也の理由と言うか意味があるのだろうが、それがどうだとしても托卵される側の身になれば赦されるものではあるまい。
杜鵑類は都市公園でも少し気を付けていれば普通に見られる。
特に時鳥はあの有名な聞做しの「特許許可局」「天辺懸けたか」「トッピング懸けたか」で直ぐ判るだろう。
秋になり桜の葉が色付く頃には毛虫を目当てに遣って来て沢山食べるので、そういう意味では益鳥だ。
春なら鳴き声で判るが、秋になると大きさや縞模様で見分けるしかなく、意外に判別し難い。
この個体は雉鳩と並んだ時殆ど同じ大きさだったのと、胸の縞模様も細いので郭公だろうと思われる。
時鳥ならもう少し小さいし、胸の縞が太いだろう。
悪食なので口の周りは汚く見える事が多い。
それにしても沢山の毛虫を食べていたから桜への貢献は相当なものだろう。
何羽もの個体が木から木へと移動する度に、私も含めて大勢の爺さん共が追い掛けて走り回る様は傍から見ていると異様だったろうか、それとも滑稽だったろうか?
今はディジタルカメラの機能が大幅に向上したお陰で、初心者でも割と簡単に野鳥撮影が可能になり一大ブーム状態だが、一方野鳥は大幅に減りつつありこの先思い遣られるが、老い先短い身には関係無いか。
鳥に依っては殆ど見上げる状態での撮影であり、しかも動き回るので三脚は役立たずで疲れる事甚だしい。
こんなのは老人には難しいより、体力的に無理なのでもう写そうとは思わないが、高原の白樺林に囲まれた湖でならもう一度写してみたいものだ。
托卵という習性が嫌いと言うか、腹が立つので杜鵑類には興味が無かったが写してみればそれ也に面白くはあった。
他の動物もそうだが鳥にも信じられない様ないるものだと熟熟感心する事がある。
北極圏で繁殖し、南極圏で越冬する極鯵刺なんて北極と南極の夏を往き来し、一生の飛行距離は月と地球を数往復程(約240万km)のもなるのだとか。
せいぜい鳩位の大きさの鳥の何処にそんなエネルギーが有るのだろうかと思わずにはおれない。
隼の速さもそうだが、杜鵑類の托卵も別の意味で驚くしかない。





