雀に限らず雛の成長は思いの外早い。
巣立ち後何日間かは親に餌を貰うが、見ている限りせいぜい一週間位だろうか?
その間は雛らしい可愛い顔立ちをしているが、独り立ちした途端に顔付きが変わる。
文字にしても「顔立ち」が「顔付き」に変わると何となくではあっても可愛いのが、逞しく感じられないだろうか?
観ていると・・・これも大事で「見ている」では無く飽く迄「観ている」である。
詰りジックリ、確り観ているとである。
親から餌を貰っている稚けない表情の雛。
雀が可愛いと思えるのはこの頃だけで、独り立ちした途端に強かな表情に変わる。
餌を貰ってはいても表情が徐々に逞しくなってゆく。
独り立ちすると、目から甘えが消えると感じるのは大袈裟だろうか?
私にはそう見えるし、そう感じられる。
写していても餌を貰っている雛は決して睨んではこないが、自分で餌を採り出すと睨んでくる様になる。
確り睨み付けている。
口元を見なければ雛とは思えない厳しい表情であろう。
食べた後の穏やかな表情。
目の力が上のとは明白に違うのが判るだろうか?
徐々にではあるが、確実に日一日と逞しくなって行く。
そうでないと厳しい冬を越せないのだろう。
折角採った餌も油断すれば仲間に盗られる。
逞しく成らざるを得ないし、そう成らなければ冬を越せないだろう。
何をしていても常に周囲への警戒を怠る訳には行かない。
警戒を怠れば自らが餌になるのが野生である。
誰も教えはしないが、それを確りと身に付けた個体のみが生き殘るのだろう。
巣立ち後1ヶ月も経たない雛ですらこの逞しい表情だ。
同じ月齢の山雀の雛なら未だ可愛いものなのに、雀の何と逞しい事か!
一番身近で、野鳥と言う表現すら大袈裟に感じていた位だが今はスッカリ見直している。
SONY α1/2に600mm/F4を付けたのを、RRSの三脚に載せてベンチで休んでいたら、CANONの長玉を担いだ人が横に座って話し掛けてきた。
「何を撮ってます?」と言うので「雀」と答えると「それにして大袈裟なレンズですな。」と言う。
「私はこんなのを撮ってます。」と頼みもしないのにスマホの画面を見せてきた。
そこには四十雀が写っていたので、「失礼」と言って拡大してみたらピントが甘く少しブレていたので「ピント合わさないの?」と言ったら黙って立ち去った。
どんな機材で何を写そうが勝手だろうに、余計なお節介でしかない。







