地球と人の関係を考える
そのことは、自分の人生をどう生きるか…
それを考えるのに似ていると感じている。
 
人は自然の前では無力で、
自然が牙を向いた時、ただそれが過ぎ去るのを待つだけの存在なのであろうかはてなマーク
 
私の答えは『否』である。
 
地球と自分の関係を考えた時、
太陽や
月や
地球や
その他、宇宙の声を聞き、
それにただ盲目的に従うこと…
もしそれが正しい在り方ならば、
人として生きるのには、
知性があまりに邪魔すぎる。
 
地球の在り方、太陽の在り方、月の在り方、宇宙の在り方。
人の在り方を考えた時、我々はこれらに比べて圧倒的に小さいのかも知れない。
 
でも人はそこで苦しんでいる人がいれば、助けようともがくだろう。
自分の大切な何かを守ろうと、動くものであろう。
 
(実際にどこまで影響したのかは別として)
今回私は祈りで気象に干渉しようと試みた。
何も無ければ自然を受け入れたかもしれない。
でも…今、台風が来ると苦しむ人がたくさんいたから…
そして今までの台風と比べてとてつもなく大きな凄まじい台風であったから…
新たな苦しむ人をできることなら出したくなかったから…
それを放っておけなかった。
これは人だからこそ思う在り方ではないか?
 
実際今もたくさんの方が苦しんでいて、
そのことに心を痛め、一日も早く日常を取り戻してほしいと願っている。
 
この願いと本質は変わらないと感じている。
 

人によっては、
自然は絶対で、嵐が来たのであれば、ただ過ぎ去るのを待つのが地球に生きる生物としての本文であると言う方もいるだろう。
自然の前では人は無力で、それを受け入れるのが正しい在り方であると…

あまりに大きな力の前で、ただ頭を下げ、嵐が過ぎ去るのを待つ。それはある意味正しいと思う。
でも…ただ受け入れるだけではないでしょう?
嵐に備え、被害を最小にしようと動くことはただ受け入れることとは違う筈だ。
 
なにより、自然を支配しようとするならば、私はそれをエゴと呼ぼう。
地球に生まれた生物としての本文に反すると私も賛同するだろう。
でも私は自然を支配しようとしているのではない。
そんなことはできるわけがない。
今回の行動は、人としての在り方として、
私がそうありたかっただけだった。
 
宇宙のあらゆる存在の声を聞き、
自分で考え、
そのあらゆる他の存在達とのWIN −WINの関係を築くこと、
地球がこうあろうとすることに対し、自分もこうありたいと主張し、そのバランスを取ろうとすること、それはつまり…究極のハーモナイズの実現と言えるのではないか。
支配と調和は違うのではないか。
 

私はこの世界は立体的な曼荼羅だと感じている。

次元の違う世界もこの世界と同じところに重なって存在している。
レイヤーが違うだけで重なり合っている。
お互いが絶妙のバランスの上で調和して存在している。
 
曼荼羅はハーモナイズの世界、自分を主張するだけではなく、相手に無条件に従うだけでもない。お互いの在り方を認め合い、相手と自分とが組み合い、結果、究極の調和を実現して成り立っている。
それが曼荼羅だと思う。
人もこの世界に存在する以上、曼荼羅を構成するワンピースなのだろう。
 
つまり…人はこの世界でそこにいることを強制されるのでもなく、盲目的にそこに存在させられているのでもない。
 
自分の在り方を追求し、地球や太陽や月や宇宙など、あらゆるものとのパワーバランスがとられた究極の調和の上に世界は成り立っている。
そのように感じる。
 
調和を取るためにはただ受け入れるだけではダメなのだ。
バランスが崩れれば全体が崩れてしまうから…
自分はどう生きるのか、自分がどうあるべきなのか、我々はそれを追求し続ける。
地球も自分がどうあるべきなのか、それを追求し続けている。
その中で釣り合いが取れた時、そこに調和が生まれるのだと思う。
 
さぁ、あなたは、どう生きる?
地球とどんな関係を築き、どんなバランスをとる?
そこにはどんな曼荼羅が描かれている?
 
!?またわけがわからないはてなマーク
まぁ、そういうこともあるかもねニヤリあせる
 
それじゃぁ今回はこの辺でチュー
まったねぇ〜バイバイ爆笑
 

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