2007年。スローラーナー。
  タナダユキ監督・脚本。松田洋子原作。
 モンゴメリの小説、『赤毛のアン』を否定しながらも依存して、ときどき声に出して読んでみたりもする15歳の初子(東亜優)が、父は蒸発、母は過労による病死という極貧の環境の中で、高校受験をあきらめて、就職するまでの過程に、高校中退して働く兄との確執や、初恋のエピソードを織り交ぜて描かれる青春残酷物語。

 登場人物には善人がひとりも登場せず、唯一の初子に優しく接するおばさん(浅田美代子)の目的が新興宗教への勧誘だった、とわかったときの衝撃は、現実の社会を正確に反映しているからなのだった。

 これまで貧困が物語の要素になっている映画は数多くあったが、ホームレスの直前にあるここまでの貧困家庭は、現実には数多く存在していながら、メディアでは意識的に無視されてきたもので、
 マンガが原作というのは意外だった。
 『嫌われ松子の一生』を連想させられたが、あの映画のようなセンス良い演出も編集もポップさも全くなく、演出は、1シーンごとに入念な準備をされて考えられてはいるようだが、センスは悪く、鈍感ささえも感じられ、これはどうか、と思うような場面も多い。
 しかし、この作品の前では、さえた演出や編集、構図などどうでもいいと思わせられるだけの物語の強さがあった。

 登場人物にも原作者や監督にも社会派っぽい意識など全くないものの、これを見て思い出したのは、現在はすでに滅亡しているジャンルの「プロレタリア文学」(といっても、受験のときに黒島伝治、小林多喜二、徳永直などの名前を記憶しただけで、実際に読んだのは名前が気に入った黒島伝治の短編だけだった)という言葉で、
 21世紀の現在にプロレタリア文学を実行するとすればこのような形でしかあり得ないだろう、とも思った。
 日本映画の今後は、このタナダユキという監督によって大きく変化するような気がする。
       公式サイト
akaibunka3
 出会い系サイトにはまっている担任で進路指導もしているセックス依存症の教師が、腹立たしくむかつくので、エンドクレジットで初めて坂井真紀だと気づいた。
 登場人物に善人はひとりもおらず、主人公の初子の動きの鈍さと要領の悪さを含めて、全体に腹立たしいが、なぜか画面から目を離すことが出来ずに最後まで見入ってしまった。
akaibunka2
 初子をクビにする意地の悪いラーメン屋のおやじを演じていたのは、『転々』 を素晴らしい映画にすることに貢献していたミュージシャンの鈴木慶一だった。白髪頭のおじいさんになっているのには、ちょっと驚いた。
akaibunka4
 初子の兄で、常に苛立っていて、けんかで工場を解雇されたり、貧乏なのにデリヘル嬢を自宅に呼んだりするダメ人間を演じるのが、驚くほどの成長ぶりで感心した塩谷瞬だった。この映画が良かったのは塩谷瞬の演技によるところが大きかったような気がする。
akaibunka1
 突然帰ってきた父親が大杉漣だったのには、またかと思ったが、ここでは役柄にはまっていて、放火自殺で文化住宅を全焼させてしまうまでが、自然な流れに感じられた。
akaibunka6
初子の初恋の相手で、「一緒に東高に行こう」と言い、勉強のアドバイスまでする優等生の三島(佐野和真)。
 いろいろ不自然な点もあったが、初子と三島が駅のホームで別れる唯一の希望を感じさせるラストシーンにも、「この二人はもう2度と会うことはないだろう」と想わせる絶望も同時にあって、素晴らしかった。
 エンディングのUAの「Moor」という曲も良かった。
JVCエンタテインメント
赤い文化住宅の初子
松田 洋子
赤い文化住宅の初子 (F×COMICS)