
宮崎吾郎監督は1作目の「ゲド戦記」で大コケしていたので若干不安だったが、これは良かった。成功と言えるだろう。
何故今、1963年という時代設定なのか?
昭和で言えば昭和38年。三丁目の夕日のように「昭和」がテーマな訳ではない。
横浜が舞台なので、どこか欧風な昭和である。
物語は、高校2年生の少女・海と、一つ年上の俊の、心惹かれ合いながらも実は血のつながった兄妹かも知れないという少女マンガチックな純愛ストーリーだ。
このピュアな純愛ストーリーを成立させる為には、あの時代のピュアな人間関係が必要だったと考えられる。携帯もパソコンもない、今の時代から見ると「不便」な時代だったからこそ成り立つ繊細で純粋な人間関係。
そんな失われてしまった人間関係に観客は涙するのだ。
登場人物達はみな、日々のなんでもない生活を、きちんと折り目正しく、ひた向きに生きている。この大前提があってこそ成立する純愛ストーリーなのだ。
だからこそ、アノ時代なのだ。
俊の後ろに海が乗って自転車で坂を下る。そんななんでもないシーンなのに涙が溢れてくる。
桟橋から船に飛び乗る海を俊がしっかり抱きとめる。それだけのシーンでドキドキしてしまう。
単なるノスタルジーではない。この映画は、そんなキラキラ光る「青春のかけら」が散りばめられた青春映画の傑作だと言っていいだろう。
脚本は宮崎駿だが、宮崎駿がこの作品に込めたメッセージを、珍しくストレートに語らせているシーンがある。
カルチェラタンという取り壊し寸前の部活動の巣窟の、取り壊し反対集会で、俊がかます口上がそれだ。
古くなったから壊すというなら 君たちの頭こそ打ち砕け!
古いものを壊すということは 過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか!?
人が生きて死んでいった記憶を ないがしろにするということじゃないのか!?
新しいものばかりに飛びついて 歴史を顧みない君たちに未来などあるか!!
少数者の意見を聞こうとしない君たちに 民主主義を語る資格はない!!
このメッセージを、新しいものを最上のものとし、古いものをダメなものと見なす自分たち現代人は、真摯に受け止めることが出来るだろうか?