
忠臣蔵として有名な赤穂浪士の討ち入りから16年。
大石内蔵助以下赤穂浪士47名全員が切腹し、事件は解決したかと思われたが生き延びた男が二人いた。
討ち入り前日に逃亡した瀬尾孫左衛門(役所広司)と、生き延びて戦さの生き証人となるよう大石内蔵助に命じられていた、寺坂吉右衛門(佐藤浩市)。
討ち入り浪士の遺族を援助する任務も無事果たした吉右衛門は、偶然にも盟友である瀬尾孫左衛門と再会する。討入りの前日に逃亡した孫左衛門、臆病者、卑怯者の汚名を着せられた彼にもまた別の使命が与えられていたのだ・・・。
その使命とは、大石内蔵助の隠し子・可音(桜庭ななみ)を匿いながら、武家の娘として立派に育て上げ、しかるべき嫁ぎ先に嫁がせることだった。
そしてついにその使命を果たす日がやってきた・・・
これは泣けた。昨年の日本映画の中で一番泣けたかもしれない。
武士だから、あの時代だから、という前提を超越して、ひとりの男の「生き様」に感動する。
「忠義」という考え方を理解出来なくても、感動出来るはずだ。
全世界で公開されたとしても「忠義」をキリスト教の、神に準じる「殉教」と置き換えれば、十分理解出来るはずだ。
あらためて考えさせられるのは、人と人の「縁」。そして「恩」。
「縁」なしに生きていける人間などいない。
自分を生んでくれた親との関係も「縁」だし、親戚一族、隣近所、先輩後輩、上司部下、教師と生徒・・・すべて「縁」で繋がっている。
そしてその先に「恩」が生まれる。
親にも生んでもらった、育ててもらった「恩」がある。
現代人は、その「恩」を感じて生きているだろうか?
それに「報いる」生き方をしているだろうか?
これは、恩ある人の娘を預かり、立派に育て上げた育ての親と、親を亡くした娘との「父娘物語」でもある。
育ての父に恋情を抱き、嫁に行くことを拒む娘。
嫁ぐことが育ての父の恩に報いることだと悟り、決心をする。
父・「役所広司」は言わずもがなだが、ほとんど演技初経験と言っていい「桜庭ななみ」が清々しく凛とした武家の娘を好演している。
そして訪れる別れの日。
幼き日のように抱いて欲しいとせがむ娘。
戸惑いながらも抱きしめる父。
これほど切ない父娘の別れのシーンは久しぶりだ。
以下「ネタばれ注意」
そしてお輿入れの時。駕篭に乗る娘と付き添う父。
そこにどこからともなく集まって来る大石内蔵助に恩を受けた元家臣の侍たち。
次々と集まる家臣たちが、やがて大行列になっていくシーンは涙なしには見れない。
そして祝言の場。
ひっそりと席を外した孫左衛門が、最後に取った行動は・・・
日本人とは、これほどまでに気高く美しい精神を持った民族なのだ。
私たち現代人も、その誇り高きDNAを受け継いでいるはずなのに・・・
今こんなにもたくさんの時代劇が撮られる背景には、この日本人としての誇り高きDNAを呼び覚まして欲しいという「願い」が込められているのではないだろうか?
「このままでは日本は、日本人は大変なことになる」と危惧する映画人がこれだけ多くいるということは、日本映画ファンとして喜ばしい限りだ。