デヴィッド・ハルバースタムの『ザ・コールデスト・ウィンター 朝鮮戦争』(上下/文藝春秋社)は、ダグラス・マッカサーの人生、特に占領時代の日本と朝鮮戦争を克明に綴ったノンフィクションだ。マッカーサーについては、教科書をはじめとする多くの資料から、戦後の日本を民主化することに指導的役割を果たしたというポジティブな印象が強い。外見もサングラスにコーンパイプを銜えて厚木飛行場に降り立った写真や、グレゴリー・ペック主演の「マッカーサー」(77)から、カッコいいイメージが強い。しかし、この本では、マッカーサーは、偏狭で協調性のない時代遅れの老人として描かれている。特に北朝鮮、中国に対して強い差別意識による偏見から過小評価し、その作戦ミスから多くのアメリカ兵を戦死させた責任は大きいと指摘している。被占領下の日本人にとって英雄と写った彼は、ワシントンでは大統領の指示にも従わない困り者だった。そして、東京のGHQで彼の腰ぎんちゃくとして権勢ふりまわしたチャールス・ウィロビー少将の無能ぶりについても記している。GHQは戦後のしばらくの間、民間情報教育局(Civil Information and Education Section=CIE)の中の映画演劇課(Motion Picture and Theatrical Unit)で映画や演劇の検閲を行っていたが、このウィロビーはCIEを統括する幕僚第2班(G2 )の部長だった。


 ウィロビーは戦後、映画評論家として活躍する岩崎昶氏とその仲間が、終戦直後に日映という会社で製作したドキュメンタリー「日本の悲劇」という作品を、上映に適さないとして、フィルムはネガもポジも一本残らず没収処分を命じた男だ(「日本の悲劇」は関係者のひとりが、強い勇気で隠し持ち、長い年月を経て公開された)。岩崎氏は著書「占領されたスクリーン わが戦後史」(新日本出版社)で、ウィロビーについて、“ウィロビー少将は終生マッカーサー元帥のゴマすりに専念した人物である。(中略)徹底した出世主義とおべんちゃらをもって元帥にとりいり、競争者であるGS(軍政治局)長官コートニー・ホイットニー少将を蹴おとして寵臣となった。もっとも、元帥の方は、ウィロビーとホイットニーと、この二人の側近をはかりにかけたがいに競争させ忠勤をはげませ、たくみに操縦していたのが真実であったろう。”と怒りをこめて彼を非難している。そのウィロビーの無能ぶりが、ハルバースタムによって徹底的に暴かれているのは痛快ですらある。しかし、岩崎氏も、マッカーサーが雲の上の人物であっただけに、ウィロビーに輪をかけて迷走していたことまでは気付かなかったようだ。もっとも、これは岩崎氏に限らず、当時の日本人の誰もが、マッカーサーが既に焼きが回り始めていたとは思わなかっただろう。とにかく、中国軍をナメてかかったマッカーサーは手痛い目にあった。プサンの近くに洛東江(ナクトンガン)という川があり、韓国、国連軍はここまで攻め込まれた。映画祭のおり、この川を見ると、本当にギリギリだったと感慨深い。この『ザ・コールデスト・ウィンター』は、戦場、東京、ワシントンが立体的に描かれ、読みながらヴィジュアルが浮かんでくる。オリバー・ストーン監督にでも映画化を期待したいくらいである。


 ところで、マッカーサーの北朝鮮、中国に対する過小評価は現在の日本を彷彿とさせる。映画の世界でも、古い世代に属する人ほど、アジアの映画産業を上から目線で見ているように感じる。21世紀に入って、東アジアで活躍する人たちの多くは、留学経験者で共通のスタンダードを持っている。前号でもふれたが、映画界もグローバリゼーションは着々と進んでいる。

(キネマ旬報 2010年1月下旬号)