この夏の映画界の話題に、いよいよ3D時代の到来というのがあった。映画界にとっては、トーキー、カラーに続く、第3の革新という期待すらあった。しかし、先行した話題ほどの盛り上がりにはならず、静かに受け入れられていたようだ。まだ、上映スクリーンが少ないということもあるのだが、同じ作品を2Dと3Dと比較しても圧倒的に3Dが優勢ということではない。新しい機能が導入されるとき、その受け入れられ方には、期待と忌避がある。


 北村薫さんの、今回の直木賞受賞作『鷺と雪』の中で、主人公の英子とベッキーさんの次のようなやりとりがある。

「そうなると映画も、いずれは総天然色が当たり前になるのかしら?」

「どうでございましょう。別宮は、白黒の画面の深みが好きでございます」

そして、主人公の英子に次のように独白させている。

確かに、《色》という説明が少ない分、そうなるだろう。ことは語り過ぎれば浅くなるものだ。

トーキーについても

無理やり歌を入れたりしたから、観ていておかしかった。しかし、それも最近では、新しい着物がやがて肌になじむように、自然なものになって来た


 また、シネマ・スコープが導入されたとき、キネマ旬報、195411月下旬号で掲載された《1954年外国映画決算》での、清水千代太、高季彦、清水俊二、双葉十三郎、植草甚一の各氏の座談会で、シネマ・スコープについて、全員が批判的であった。

 シネマ・スコープは53年「聖衣」(20世紀フォックス)が初めて上映され、急速に広まった。シネマ・スコープはワイドに画面を見せるところに特徴があり、座談会では、各氏が不自然な画面に批判的だった。しかし、舞台演出の経験もあるスタンリー・ドーネン監督が「略奪された7人の花嫁」で、舞台をそのまま横長の画面に移した功績を評価している。

 やはりキネマ旬報195412月下旬号で登川直樹氏が「画面がバカでかいということで、はたして客が集まるものか、はたしてそんな設備に1700万円も投じる価値があるかどうか、そんな疑惑が興行者を尻込みさせていたのは去年であった。フタをあけてみると「聖衣」の興行成績は記録破りで実は内心ビクビクものだった当事者もホッとした。(中略)出現1年にして全国で50館は超えたかという程度。だが、ここまで来るともはやシネマスコープ興行のブランドは無条件にヒットすることは難しくなって来た。珍しがる時期は過ぎましたな、結局は内容次第です、と悟る時代に入った」と書いている。

 現在、映画は、スタンダード、ヴィスタ、ワイドと、その作品の企画に相応しい画面が選択されている。さらに、モノクロ画面だって、ときには選択されている。英子の独白“ことは語り過ぎれば浅くなるものだ”とあるが、限りなく現実に近づく3Dが表現の拡大につながるのだろうか。Dも同様に、アニメなど落ち着くところに着地するのだろう。

 3Dへの期待については、映画関係者は比較的冷静で、様子を見ながら導入していこう、まずは年末公開、ジェームス・キャメロン監督「アバター」次第という感じである。

 一方、映画周辺関係者の3Dへの期待は大きく熱い。確かに3Dが普及すれば、波及するビジネスは大きい。家庭のモニターでメガネ無しで3Dを見ることができるようになれば、コンテンツの開発も進むはずだ。3Dは、狭い意味での映画よりも、スポーツ中継など、非映画で大きな可能性が期待できるのではないか。

(キネマ旬報 200910月下旬号)



 その後、20091222日、「アバター」の前夜先行上映が2020分からあると聞き、日劇3に出かけた。大騒ぎになっていると思って行ったところ、直前でもチケットは入手できた。満席にはならず、8割くらいの入りだった。劇場内会った元UIPO氏は、この静かな先行上映に「また、オヤジの昔話しと言われるかもしれないけど、かつての先行上映はクラッカーを鳴らして大騒ぎだったけど、今や、どこでも上映しているから珍しくないんだろうね」と寂しそうだった。しかし、翌日、天皇誕生日の初日、日劇1「アバター」、日劇3「カールじいさんの空飛ぶ家」の3D作品が、ほぼ全回満席で、メガネの消毒を次の上映に間に合わすのがギリギリということだった。こう見ると、3Dも受け入れられているようだ。確かに「アバター」の3Dの映像は一見の価値のあるものだった。しかし、刺激は一回受ければ、慣れてしまい、今後はどうなるのだろう。