“作品力”に負けない“観客力”を持つ韓国映画産業


 数年前には隆盛を誇っていた韓国の映画産業だが、今はどん底の状態にある。製作費が調達できず、製作本数も激減し、今まで少なかったロウ・バジェット映画が多く作られるようになった。そんな状況の中で、新しい力が生まれている。それは、新人監督のデビュー作品の大ヒットが続いていることだ。昨年の4月に公開されたナ・ホンジン監督の「チェイサー」(日本では5月公開予定)は、動機のない女性連続殺人事件を描いて観客動員500万人を越える大ヒットとなった。韓国では、昨年末に実際に連続殺人犯が逮捕されたが、映画は不安な現実を巧みにフィクション化している。動機のない犯人像は、「ノー・カントリー」のアントン・シガーとは対照的に、線の細い内向的なキャラで不気味だ。ドラマの展開と人物描写の掘り下げはとても新人監督とは思えない。そして、年末に公開されたカン・ヒョンチョル監督のデビュー作「加速スキャンダル(Scandle Makers)」は観客動員800万人を越え、2月中旬になっても上映中である。この作品は「猟奇的な彼女」のチャ・テヒョンが30代後半の芸人に扮し、そこに“あなたの娘だ”とう称する10代後半の少女が、幼い息子を連れて現われる、笑って泣かせるコメディだ。チャ・テヒョンならではの軽やかな演技と暖かい人柄によるところは大きいが、ウェル・メイドな作品に仕立て上げた手腕はデビュー作とは思えない。やはり昨年後半に公開されたイ・チュンリョル監督の「ウォナン・ソリ(牛の首にかけられた鈴の音)」は80歳の老人と40年間一緒に生きた牛のドキュメンタリーだ。イ監督は牛が死ぬまでの数年間をおいかけ、製作費は実費で数百万円という。最初は全国10スクリーン程度で公開されたが、クチコミで評判が広がり、現在では200スクリーンを越え、観客動員も100万人を越えた。ドキュメンタリーとしては作為的なところもあるが、ほのぼのと感動を呼ぶ。

 この3本の観客動員は、日本の平均入場料金なら、興行収入100億円、60億円、12億円だ。デビュー作でこの興収は驚異的である。それも、ベスト・セラー原作の映画化とか、テレビ局と大手配給が組んだヒットのシステムを背景にした企画ではない。3人の新人監督が作りたい企画を、渾身の力で作り上げた。そして、その作品を多くの観客が受け入れたことが、この大ヒットにつながった。力のある映画が出てきたとき、その作品を受け止める観客が多数いることが凄い。韓国には、“作品力”に負けない“観客力”が、まだある。韓国では、まだまだ若い才能が誕生する潜在力があり、また、それを熱心な観客が支えている。

 何故、このようなことを書くかというと、日本では、その作品の力量を発揮できない映画が少なからずあると思うからだ。もちろん、ひどい作品も多数ある。その玉石混交の中で、劣化した“観客力”は作品を選別できない。かつて“いい映画”が“いい観客”を育て、“いい観客”が“若い才能”を生む循環があった。その循環は年々細くなり、特定の観客に向けたこだわりの映画が多数作られるようになった。こんな中で、観客動員100万人の映画は誕生するのだろうか。

(キネマ旬報 20093月下旬号)