転換期をむかえた今こそ日本の映画産業の国際化を


 1213日(土)、韓国のソウルにある東国大学大学院で、アジア、太平洋の文化交流というシンポジウムが開催され、私もパネラーとして参加した。このシンポジウムではオーストラリア、シンガポール、中国、韓国、日本の映画、音楽研究者がそれぞれの国の国際交流の取り組みについて発表した。シンガポールの代表と私を除くと、パネラー、受講者全て学者か大学院生で、いつも私が参加する催しとは雰囲気が異なっていた。映画を通じたアジアでの国際交流についてのシンポジウムには、今年に入ってから何回も参加したが、国が異なっても映画という共通言語を持つ映画人同士の話しは、分かりやすい反面、新鮮さも少ない。一方、映画を外側から見る立場の方々の発表は、業界の慣例にとらわれない、予断のない視点からのもので、ツッコミを入れたくなるところもあるが、新鮮でもあった。

 各国の講演者が共通して指摘するのは、日本のコンテンツの与えた文化的な影響であり、それを取り込み、それぞれの国のオリジナルなコンテンツに発展させたということである。そして、日本の持つコンテンツの豊富な埋蔵量についても触れ、その活用についても、不十分、もしくは気付いていないのではないかと指摘された。

 確かに、日本はコンテンツを海外に売ることに積極的ではなかった。売りに行くというより、買いに来るのを待っている時代が続いた。コンテンツ・ビジネス、特に映画では、買付以外、国際ビジネスの経験が少なかった。それが、海外から見れば、“宝の持ち腐れ”に見えるのだろう。現在、香港、ロサンゼルスに本拠を置くイマジという会社によって「鉄腕アトム」と「ガッチャマン」の映画化が進められている。これも、“宝の持ち腐れ”の一例と言える。日本の映画会社、プロデューサーは、映画を国内商品と考え、海外に売れれば儲けもの、おつりのようなものと考えがちだった。日本は国内市場が大きく、無理をして不慣れな海外に出る必要はなかった。しかし、日本の映画産業は転換期に来ている。国内でヒットを飛ばせるのは、一定の条件を備えた会社に限定されつつあり、多くの映画製作者は、国内市場だけでは成立できなくなったからだ。

 自国の市場の小さい香港、台湾、韓国は中国を中心に急速に関係を深めている。国際共同製作は、言語、文化、習慣、為替など多くの異なる部分があり、1国内での映画製作より困難が多いが、アジアのプロデューサーたちは、生き残りをかけて、海外を交流し、着実にノウハウを蓄積している。一方、日本は長い映画製作の歴史による技術、豊富なコンテンツ埋蔵量に眠るキャラクターや企画のヒントがありながら、活かしきれていない。国内市場が閉塞する今こそ、日本映画の国際化を目指さなければならない。

(キネマ旬報20091月下旬号)