アジアにおける国際共同製作の難しさ




 ここ数年、アジアの各国で国際共同製作のセミナー、シンポジウムが頻繁に開催されている。102日から開催されているプサン国際映画祭では、アジア―パシフィック フィルム・ポリシー・プラス(BIFCOMが主催)という大がかりなイヴェントが行われた。また、1018日から始まる東京国際映画祭でも同様のイヴェントが開催される。国際共同製作はアジアよりも、まずヨーロッパでその機運が高まった。ヨーロッパではユーロが誕生し、通貨を共有し、パスポートなしで人々が行来きすることから、共同製作も必然性がある。

一方、アジアでは、政治、経済力、物価、文化、生活習慣が異なり、映画製作の取り組み方とスタッフの賃金も異なることから共同製作は容易ではない。また資金の流れでは為替の問題もある。そして、何より困難なことは、利益の配分についてである。こうしたことから、アジアでの共同製作の成功例は多くない。現在、私も中国、フランス、日本の共同製作の企画に係わっているので、その難しさを痛感している。そこで感じていることを記すと以下のようなことがあげられる。

 文化、生活習慣が異なることから、一つのテーマでも解釈が異なることで、脚本作りが困難である。


②製作システムが異なることで現場の混乱が予想される(撮影の予定変更は韓国では基本的に監督、日本ではプロデューサー決定するなど)。


③観客層の違い。日本は作品によって幅広い世代に観客が広がり、平均では年齢は高い。韓国は1020代が中心。中国は、北京の大人の入場料金が9001000円と平均所得のわりに高く、大衆娯楽というより富裕層が中心。この観客層の違いは、意外に見過ごされがちだが、企画によって、それぞれの国によってヒットの程度が異なってしまう。


④日本固有の問題としては、日本は映画製作の長い歴史と伝統があり、スタッフは熟練した高齢者も多く、それが違うやり方と相容れない面がある。そして、外国では映画製作の目的は利益をあげることが中心であるが、日本では、収益も重視するが、製作者が作りたい映画を作る傾向が強い。


キネマ旬報映画総合研究所 所長のシネマレポート
アジア・コンテンツ・ビジネス・サミット


このような条件から、国際共同製作に相応しい企画とそうでないものがあると考えてみた。私が思うには、作家個人の思いを複数の国々のスタッフを交えて作る企画は難しく、逆に、不特定多数の観客を対象にし、分かりやすいストーリーが成功する可能性が高い。これではハリウッド映画と同じになってしまい、彼らは世界に映画を売りつけてきた結果、今日の企画になったのかと納得した。中国映画界の要人に話しを聞いたとき、「長江エレジー」のような映画を作ることには1ミリも興味を示さず、日本と中国で「トランスフォーマー」のような映画を作りましょうと提案された。

そこで、その方と再会したとき、オリンピック会場になった“鳥の巣”にモスラが卵を産みつけたり、「グエムル」のように、731部隊が残した生物兵器の影響で怪物が誕生して万里の長城を蹴散らすのはどうかと提案したら、そういうのはダメですと言下に却下された。日本人は東京タワーがヘシ折られても気にしませんがと言うと、中国はまだそこまで成熟してないとのことだった。いずれにしろ、国際共同製作は経験を重ねることが重要だと思う。
(キネマ旬報 200811月上旬号)