邦画バブルが弾けはじめた

 80年代後半の株と不動産バブルのときは、金融や不動産のプロたちが土地や株を競って買いあさり、素人の私にも、モノには限度というものがあると思って見ていたが、それは臨界点になって弾けた。私には、土地や株価は身近なものではなかったため、バブル崩壊には、感慨はなかった。しかし、こと話しが映画になると、違ってくる。

 6月に『映画ビジネスデータブック2008』という本を出した。ここ10年間の日本映画産業のデータをかなり深くまとめた。この10年間を改めて振り返ると、映画産業もバブルだったことがわかる。1998年と2007年を比較してみよう。98年、年間興行収入は1934億円、観客動員数は15310万人、公開本数は邦洋合わせて555本、スクリーン数は1993だった。そして07年、興行収入は1984億円(+50)、観客動員数は16319万人(+1009万人)、公開本数は810(+255)、スクリーン数は3221(+1228)となっている。興行収入は50億円しか増えていないのに、公開本数、スクリーン数だけが増えたことになる。そして、この間、邦画大手3社(東宝、松竹、東映)とハリウッド・メジャーの公開本数はそれほど変わらず、興行収入はむしろ伸ばしている。つまり、公開本数を増やしたのは、異業種からの新規参入会社などの独立系の会社であったが、そこには興収のリターンはなかった。2000年の邦画大手3社を除く日本映画のパー・フィルムの興収は6000万円だったが、それが07年には3500万円まで下がっていることでもわかる。またスクリーン増はシネマ・コンプレックスの拡大であるが、パー・スクリーンの興収は98年には9709万円だったが、07年には6161万円まで下がった。 

 私は映画産業に新たな血が注がれ活性化するのは大歓迎であったが、一方、あまりにも安直な姿勢を苦々しく思うこともあった。ドライブが好きだからといって、自動車を製造しようとは誰も思わないだろう。しかし、多くの人たちが、映画は簡単に作れると思い込んでいたようだ。どう考えても市場性が見えない企画が何本も生まれた。まさにバブルだった。先日、テレビ局の映画担当の方々の講義を聞いたとき、一人の方が「我々は報道、バラエティ、ドラマとあらゆるものを数多く手掛けてきたわけで、モノを作ることに関しては映画人よりも経験を積んでいるから、観客が求めるものを作ることが出来る」といい趣旨の発言があった。現在の状況を見れば、ある部分では、その通りである。こうした結果、いよいよ業界の再編、撤収がはじまった。しかし、私は現在の状況をそれほど悲観していない。本当に映画に対して志がある人たちは、映画の世界から離れないからだ。むしろ、残ったところから力強いものが生まれると期待している。

 そして、この時期だからこそ、取り組んで欲しいことは、業界をあげた観客の育成だ。業界では“夫婦で50割引”“高校生友情プライス”などのキャンペーンを展開し、前者の利用率は上がった。しかし、後者の利用率は低かった。若い世代は、料金問題だけでなく、映画を見る習慣を身に付けることが重要だ。それには、学校まで出向いて、定期的な上映をしてほしい。高画質のデジタル上映も可能である。料金とか近隣の興行者との調整もあると思うが、そんなことにこだわっている場合ではない。

(キネマ旬報20089月上旬号)