若干のネタバレあります!

よければ読んでください。

 

イヤな方は映画を観てからね🎶

 

 


この映画は私の師匠がパンフレットに

コメントを寄せた作品だったので、

いつか観よう観ようと思いながら

今になってしまった。

 

 

その時のコメントがこちら

 

 

身終いとは、なんて淋しい言葉だろう。
身終いとは、なんて虚ろに響く言葉だろう。

でも、そこに自らの意図意志が込められた時、
身終いは、新たな意味を持ち始める。

そう、果敢な死への旅立ち、挑戦となるのですね。

やましたひでこ

 

 

麻薬密売が原因で服役していた中年男アラン(ヴァンサン・ランドン)は、出所後年老いた母親イヴェット(エレーヌ・ヴァンサン)が一人で暮らす家に身を寄せる。しかし再就職も思うようにいかず、昔から確執のある母と何かと衝突してばかりいた。そんなある日、アランは母親が末期の脳腫瘍に冒され死期が近く、スイスの施設で尊厳死を実行しようとしていることを知る。

 

〜Yahoo!映画より引用〜


 

尊厳死に対しては賛否両論あるけれど

私はずっと”あり”だと思ってきました。

 

 

日本ではできないし、もし、日本でできたとして、

自分がそれを選ぶのかどうかはわからないけれど・・・

 

 

でも、この映画を観て、

尊厳死するという選択がどこから来ているのか、

また、そのタイミングはいつがいいのか・・・

 

そこをよく考えなくてはいけないなと・・・

 

 

 

母親イヴェットは気位が高く、自分にも他人にも甘えないし、甘えを許さない。

そんな彼女だから、脳腫瘍で意識がなくなり、自分というものがわからなくなり、

他人に依存して生きることは一番したくないことだと思う。

もし、そうなったら一人息子のアランにその荷は全部のしかかる。

 

アランは母親が一人で死のタイミングや方法を決めたと思っていたのだろうけど、

本当は母は息子と一緒に自分の人生や死と向き合っていきたかったのだと思う。

その証拠にわざと書類を見つかる場所に置いたり、アランの前で昔の写真を整理したり・・・

 

無言のアピールは息子には届かず、息子は暴言を吐き、家を出て行ってしまう。

 

 

”なんで、わかってくれないの・・・”

という母の気持ちがあの涙に変わったのだと思う。

 

 

でも、息子からしたら、自分を頼らず、一人で死を決める母。

 

自分勝手に決めて、自分の考えを押し付けて、いつも批判される。

うまくいきそうな恋愛も前科と正直に言えない仕事のために壊れてしまった。

 

俺の辛さがわかるか!!!

という彼の叫び。

 

 

親子だからこそ、言えないことって山ほどある。

本当はお互いのことを気遣っているし、愛している。

 

でも、素直に伝えられない親子関係。

 

 

彼女が最期を迎える時、やっと言えた言葉。

”愛しているよ”

彼もそこで初めて素直に”愛しているよ。ママ”と伝えられた。

 

 

「尊厳死」という一つの終わりの形。

自分の親がそれを選択した時に果たして、素直に受け入れられるのか、

目を背けず最期を看取れるのだろうか。

 

また、自分が選択した時、その意思を貫くことができるのだろうか・・・

本気で死と向き合うことは、自分に向き合い、人生に向きあうこと。

 

 

日本では現実的ではないので尊厳死を考える機会がない。

この映画はそんなチャンスを与えてくれました。