『ウィンチェスター銃73』 | ビデオワールド 映画相談人(シネマ・コンシェルジュ)日記

『ウィンチェスター銃73』

最近、仕事がドタバタして、あまり映画が観れません。

楽しみにしてくれている皆さん、ごめんなさい。


ところで、映画を観るのには、

モチベーションが大事ですよね。

「この映画、観たい」なんて言っても、

そんな映画が沢山あるわけで、

モチベーションがなければ、絶対観ません。


で、この前、西部劇に理解を示した青年と会話して、

とある映画を見直す気になりました。

タイトルは『ウィンチェスター銃73』。

主演はジェームズ・スチュアート。

監督はアンソニー・マン。

50年代の西部劇に新風を巻き起こしたと

評価されている作品です。


これを初めて見たのは、

今から十数年前。

当時の感想は普通~。

若い私はどうして、この映画が

それほど評価されたのか判りませんでした。

それがずっと気になっていて、

いつか見直そうと思っていたのです。


で、今回、若者との会話の中で、

この作品のタイトルが出て、

しかも若者が“アンソニー・マン”の名を知らないことを知って、

こりゃ、見直さなきゃならんなと思った次第。


見直した結果は、

「なるほど、これは当時、評判になるわ」ってもの。

まず、スチュアートの行動動機。

普通の西部劇なら、物語の最初からそれが明らかにされるものですが、

本作の場合は伏せ札。

物語の進行に併せて小出しにしていきます。

この仕掛けが物語への興味を引っ張り続けてるんです。

で、クライマックスの手前で動機のすべてが明かされます。

もっとも勘の良い観客は途中で種に、

ウスウス感ずいてしまうんですけどね。


もうひとつは、物語の構成です。

最後の“びっくり”のために、主人公の動機を伏せ札にしていますが、

これだと観客の中にはしびれを切らす人が出てくるかもしれません。

そこで作り手たちは、タイトルになっている、

千に一つの名銃ウィンチェスター銃を

リレー式に手にしていく人々の物語をオムニバスのように展開させます。

しかもただエピソードをつなげるだけではありません。

それぞれのエピソードに西部劇ならではのエピソードを用意するのです。

インディアンの襲撃であったり、射撃大会であったり、

アウトロー対保安官の銃撃戦であったりです。

つまり、この映画一本で西部劇の醍醐味をすべて楽しむことが出来るのです。

この幕の内弁当の構成は、

シネラマ超大作『西部開拓史』なんかでも使われていますが、

この映画のすごいところは、それを93分というタイトな上映時間の中で、

過不足なくやっていることです。


そして、最後はクライマックスの決闘です。

普通の西部劇では決闘は両者、同じ地平上に立って行われます。

しかし本作では岩山の上下で行われるのです。

今ではこういうアクション・シーンの変化の付け方は珍しくもありませんが、

左右の決闘しか知らない当時の観客が、

本作の上下の決闘を観た時の衝撃は、

それはそれは大したものだったと想像出来ます。


という訳で、以前、観た時はピンと来なかった

『ウィンチェスター銃73』。

改めて見直すと、新たな発見がいろいろありました。

常々、人に言っている、

「映画は変わらないけど、人は変わる」という言葉を

自分自身で実感した次第です。