去る6月9日に逝去した久我美子を追悼して彼女の作品を紹介しています。

 

『噂の女』(1954)
監督  溝口健二
撮影 宮川一夫
共演 田中絹代、大谷友右衛門

【あらすじ】
京都の色街・島原で置屋を女手一つで切り盛りしている初子。
東京の音楽学校に通い婚約直前であった娘、雪子が自殺を図り、家へ戻ってくる。
初子は年下の医者で思いを寄せている的場に娘を診せる。
傷心の雪子であったが、いつしか親密となった的場に、母親の仕事のために自分の婚約が破棄されて自殺に及んだことを打ち明ける……

 

溝口健二と宮川一夫の織りなす空間の劇は、小津と厚田雄春との作品と並び、日本映画史の最高峰に位置するものであり、田中絹代の演技の素晴らしさとあいまって、溝口健二の絶頂期を代表する作品になっています。


久我美子は田中絹代の娘役として登場し、田中絹代に反抗しつつも、最後は病に倒れた田中絹代の代理の主人を務めます。

久我美子と田中絹代の好対照は、この映画で何度も強調されます。
久我美子の姿は、単なる戦後(アプレゲール)のモダンガールを当時の風俗の象徴ではなく、いまも通用する瑞々しさを発揮しています。


田中絹代の置屋に登場したときの久我美子は、その細いウエストを強調したような黒いワンピース、白いグローブで、東京の音楽学校生の垢ぬけたお嬢様そのものです。

そのまま、置屋の離れに住むことになる久我美子は、夜は洋風のナイトウェアを着ていますが、それ以外は、ワンピースではないにせよ、黒のトップス姿です。

京都の日本家屋や能楽堂などを舞台としながら、久我美子はスリムでシックな黒い姿で、空間を動き回ります。
それを、見事に写し取っている撮影となっています。

 






























誰しもここで想起するのは、オードリー・ヘップバーンでしょう。
とりわけ、『麗しのサブリナ』(1954)の黒いシックネスに酷似しています。
しかしながら、全く同年の作品ですし、溝口健二が影響を受けたとは考えられないので、偶然の一致でしょう。

前年の『ローマの休日』(1953)の影響とも考えられなくはないですが、日本での公開は1954年なので、やはり影響関係はないでしょう。


ところで、この映画のラストシーンは極めて鈍い衝撃を残します。

そこには久我美子も田中絹代もおらず、病で夭逝した太夫の妹が玄関先に登場します。


外の座敷へ向かう2人の太夫に、その娘は「私も太夫にさせてください。父ちゃんの病院代が払えないのです」と哀願するのですが、2人の太夫は、それを励ますどころか、「そんなことやめておき」と言い放ち、「われらみたいのは、いつになったら無いようになんのやろ」「後から後から、なんぼでも出来てくんねんなぁ」と嘆息まじりにつぶやき、乾いた下駄の音をならしながら、夜の街へと消えていくのです。

ここには、色街という商売への強烈な批判のメッセージがあります。


それが、単なるセリフで終わることなく、見事な演出によって、観る者に鈍い感動を与えずにはおきません。

 










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