6月6日は、アン・バンクロフトの没後19周年でした。
それを記念して彼女の作品を紹介します。

 

Anne Bancroft
1931年9月17日 - 2005年6月6日

  • ニューヨーク市ブロンクス生まれ
  • HGスタジオやアクターズ・スタジオで学んだ後、TVシリーズを経てハリウッド入りし、1952年『ノックは無用』で映画デビュー。
  • 1958年 ニューヨークに戻ってウィリアム・ギブソンの戯曲で舞台に進出。
  • 1959年『奇跡の人』の舞台に出演し、NY演劇批評家賞とトニー賞を受賞する。
  • 1962年 映画『奇跡の人』でアカデミー賞主演女優賞を受賞。

『荒野の女たち』(1965)
監督 ジョン・フォード
共演 スー・リオン、マーガレット・レイトン
撮影 ジョセフ・ラシェル

【あらすじ】
1935年、中国とモンゴルの国境地帯には、馬賊の略奪によって苦しむ人々のために働く白人グループがいた。
ある日、彼らのもとに一人の白人女医がやって来た。
彼女の手によって鎮まっていく伝染病。
しかしそんなさなか、再び村に馬賊が襲ってきた……



アン・バンクロフトが舞台・映画『奇跡の人』で圧倒的な成功を収めた後の作品となります。

この作品は、映画史上屈指の傑作です。
ハリウッドの全監督の最高峰に入るジョン・フォードの、遺作にして傑作です。
ジョン・フォードは『駅馬車』などの西部劇で知られ、どれがベストとも言えないほど、数々の傑作を残していますが、西部劇ではない、この異様な作品も、彼の傑作群に必ず入る作品です。

言葉を綴っていても、手が震えるほどです。


アン・バンクロフトは、辺境の地を訪れる、訳ありの女医師として、革ジャンパーに帽子を被って、登場します。

 



マーガレット・レイトン率いるキリスト教の女ばかりの伝道団(1名のみ男性)に紛れ込んできたアン・バンクロフトは、その食事中のマナーの悪さや冒涜的な発言により、疎まれながらも、コレラとの戦いや、妊婦への処置を通じて、そこで存在感を増していきます。

 










アン・バンクロフトは、女医としてのこれまでの人生の厳しさに疲れ、伝道団の中であるにもかかわらず、スコッチを飲み、煙草を吸います。

とりわけ、彼女の煙草を吸う姿は、強く印象に残ります。
煙草を吸う際には、椅子や木の元などに深々と座り、肘をつき、相手を見上げて座ります。

全身から溢れる疲労感が、決して、露悪趣味ではなく、抒情性をもって観る者に伝わってきます。
馬賊の暴虐とコレラ禍という、平穏から程遠い悲惨な環境にあっても、夜闇の中で、家屋を照らす灯りが、アン・バンクロフトをも柔らかく照らしているからでしょうか。

このアン・バンクロフトの煙草を吸うシーンを見るためだけでも、この映画を観る価値があります。




























さて、観る者に鈍い感動を与えるのは、馬賊の襲撃のあとです。


それまでの革ジャンパーやシャツから、エキゾチックな着物に、髪にターバンのようなものを巻いたアン・バンクロフトは、伝道団を馬賊から逃がす代わりに、自らを馬賊の長に捧げる取引をします。


アン・バンクロフトがエキゾチックな衣裳に着替え、赤子を生んだばかりの母親を含んだ伝道団を送り出すシーン。
去っていく伝道団を見送るアン・バンクロフトは、門の出口のところで、灯を持っていますが、その美しさは、映画史上観たことがないものです。




そして、戦慄のラストシーン。
アン・バンクロフトは、暗い廊下を通り、馬賊の長の部屋を訪れます。
どうやら、盃に2人分の酒を注げと言っているらしい長に、アン・バンクロフトは、毒らしきものを混ぜて、にっこり笑って、頭をやや低くしながら、盃を渡します。

 





アン・バンクロフトはテーブルに腰掛け、馬賊の長と、互いの盃をかかげ、乾杯と言う代わりに「あばよ(So long, you bastard)」と言い放ちます。

馬賊の長が先に毒で倒れ、その後、アン・バンクロフトは、これまでに見せたことのない弱弱しい表情をし、死を決意して、自らもその毒入りの盃を飲み干します。

ここで、馬賊の長を毒殺できたとしても、馬賊たちから逃げることなどは到底不可能であり、その際には、残虐の限りを尽くされ殺されることを予期してのことでしょう。

そのとき、アン・バンクロフトが投げ捨てた盃が、床で乾いた音を発し、ゆっくりと照明が落ち、溶暗していきます。

 










この戦慄を説明することなど出来るのでしょうか。

暴力にあらがい、利他的な行動をとった女医が自ら死んでいくだけのこの映像は、これまで観たどんな映像とも違っています。

謎のエキゾチックな衣裳、セット撮影による繊細な照明と光の推移、乾いた音を立てて割れる盃.... そうしたものが一体となったとき、私たちは何故か落涙していまいます。

カリフォルニアの岩石砂漠をアメリカ人の馬賊が馳けぬけ、ハリウッドに捏造された蒙古の辺境の伝道教会で、無頼の女医者アン・バンクロフトが、日本のものとも中国のそれともつかぬ衣裳をまとって、馬賊の首領に身をまかせることで仲間の白人たちを救う。そんな物語の荒唐無稽ぶりや衣裳と装置のレアリスムの欠如を、人はできれば何かの間違いだと信じたく思う。
(...)

 

だが、この『荒野の女たち』こそが最も感動的なフォード映画なのだ。


醜い化粧と、醜い髪型と、醜い衣裳とで満艦飾に飾りたてたアン・バンクロフトが、これもことさら醜さを誇張したメークアップの元プロレス選手マイク・マズルキの馬賊の首領に身をまかそうとする瞬間、それよりも一瞬早く相手の盃に毒を盛り、みずからもそれをあおって命を絶つバンクロフトが、着物のすそを乱して床に崩れ落ちると、その醜い死骸のまわりで照明が暗くなってゆく。
 

こんな光景が、本当にフォードが残した最後の映画的光景なのであろうか。
誰しもがそう思う。

 

しかし、この醜悪に飾りたてられた犠牲者こそが真のフォード的存在なのだ。
下手な芝居の幕切れのように舞台にとり残された唯一の役者のまわりで照明が暗さを濃くしてゆくとき、人は、闇に没しようとするその瞬間の滑稽で醜い死骸のうちに、美しさのみで映画たりえてしまった不幸なジョン・フォードの真の姿を見る思いがする。

あえて醜さで自分を飾りたてながら姿を消し、そのことで他の人間たちを救うという犠牲者フォード。
人は、彼がうけいれたその例外的不幸に、心から感動する。


ジョン・フォードは、その醜さによって美しいのだ。

 

(蓮實重彦)


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