来る5月29日は、サイレント期の伝説の映画女優メアリー・ピックフォードの没後45周年です。
(1892年4月8日 - 1979年5月29日)
それを記念して、彼女の作品をご紹介します。
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メアリー・ピックフォード/Mary Pickford
- カナダ/オンタリオ州トロント生まれ
- 7歳より子役として活躍していたが、NYに移りブロードウェイの舞台に立つ。
- 1909年 グリフィスに認められて映画デビュー。
- 1916年 プロダクション「メアリー・ピックフォード・カンパニー」を設立。
- 1919年 グリフィスらと映画の制作・配給会社のユナイテッド・アーティスツ社を共同設立。
- 1920年 ダグラス・フェアバンクスと結婚。
- 1922年 ルビッチをハリウッドに招き、『ロジタ』に製作・出演。
- 1929年 『コケット』で第2回アカデミー主演女優賞を受賞。
『小公女』(1917)
製作 メアリー・ピックフォード
監督 マーシャル・ニーラン
共演 ノーマン・ケリー、ザス・ピッツ
撮影 チャールズ・ロッシャー
【あらすじ】
幼いサラ・クルーは、戦争に出征する父親の命令で寄宿学校に入れられるが、父の死後、校長のミンチンが残酷で、サラをいじめる
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メアリー・ピックフォードの映画はほとんどDVDで観ることが出来ません。
むろん、近年はネット上でたくさん見つけることが出来るのですが、どうも配信や動画アーカイブはあまり好きではなく、食指が動きません。
フランスでは「コレクション・メアリー・ピックフォード」というDVDのシリーズが出ており、そこで日本でDVDの出ていない、初期のメアリーの作品を観ることができました。
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メアリー・ピックフォードは当時25歳なのですが、今回最も驚いたのは、その身長の低さです。
ザス・ピッツと共演しているのですが、頭1つ分メアリーの方が低いのです。
そして、寄宿学校に入る前の時代も代役を立てることなく、メアリーが演じているのです。
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むろん、映画は舞台とは違う複製メディアなのですから、小さい女優がいても問題ありません。
それほどまでに、スクリーンでのメアリーの存在は圧倒的だったのでしょう。
日本の活動写真館が映写開始と同時に、ヴァイオリンとピアノの伴奏でタイトルが現れ、やがてスタッフの名が出たあと、黒い画面の中央から円形にやわらかく画面がひらいてメリーが登場すると、あたりはシーンとなった。
メリーはあまりにも美しく、メリーはあまりにもかしこすぎるその顔は、あたかもクラスいちの頭のいい少女に見えたからである。ほお骨が高く、口をとがらすと可愛く、その目と口はベスト・ワンだった。
活動写真館でパール・ホワイトやプリシラ・ディーンやグレース・カナードが出ると場内は割れるように拍手した。
ところがメリーの場合は静かに彼女を迎えた。
いうならばパールたちは浅草、メリーは山の手向き。メリーのファンは上流の家庭に多かった。
(淀川長治)
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