来る4月3日は、有馬稲子の生誕92周年となります。
それを記念して彼女の作品を紹介します。


有馬稲子
1932年4月3日 大阪府出身

  • 幼年時代を釜山で過ごし戦後引き揚げ。
  • 1949年 宝塚音楽学校、宝塚歌劇団に入る。
  • 1951年 宝塚在籍中に映画初出演し、評判に。
  • 1953年 宝塚を退団し、東宝専属となる。
  • 1954年 岸恵子らと文芸プロダクション・にんじんくらぶを結成、他社作品出演を勝ち取る。
  • 1955年 松竹へ移籍。
  • 1961年 中村錦之助と結婚。
  • 1965年頃より舞台女優として活躍。

 

『東京暮色』(1957)
監督 小津安二郎
撮影 厚田雄春
共演 原節子, 笠智衆, 山田五十鈴

【あらすじ】   
銀行に勤める周吉には、妻の喜久子が自分の部下と駆け落ちして以来、男手ひとつで育ててきた二人の娘がいる。姉の孝子はしっかり者だが不幸な結婚に苦しみ、幼子を連れて実家に戻って来る。
妹の明子は不実な大学生にだまされ妊娠してしまう。
そんなある日、周吉の妹・重子が兄と子供を捨てたはずの喜久子を街で見かける。
明子もまた、自分の母とは知らずに喜久子と出会う。
いったい、彼女の過去に何があったのか…。

 


この映画では、有馬稲子は一度も笑いません。
東宝で『ひまわり娘』(1953)という作品で売り出された、アプレ娘(戦後生まれ)の天真爛漫さは、全くありません。

それどころか、未婚ながら妊娠し中絶し、自分を捨てた生みの親を見つけ、出生の秘密を問いただし、自殺と思しき事故に遭うのです。更には、事故の直前には、妊娠させた男子学生を何度も殴打します。

小津安二郎が全く描いたことのない冬の寒々とした季節が充溢している陰気な映画です。

※それにしても、中絶のエピソードは、有馬稲子自身が自伝で赤裸々に述べている映画監督との不倫関係の末の中絶を思い出させます。


しかしながら、この作品での有馬稲子を覆う憂鬱さは、不思議と嫌悪を催すものではありません。


そのタートルネックや、コートやスカーフといったファッションアイテムが、可愛らしいからではありません。
その下ろした前髪が、小津の映画世界にあっては有機的に機能しており、悲劇を効果的に語る装置になっているからではないでしょうか。












この作品での有馬稲子の前髪には、何か見てはいけないものを見てしまったような印象を受けます。


また、有馬稲子が、深夜帰宅し、原節子に「遅かったわね」と問われ、二階へと上がり、寝る前の支度として、延々と髪を櫛でとかすシーンがあります。
髪をとかしながら、有馬稲子は「習っている速記が難しくて、友達に教わっているの」と嘘をつきます。

 

このシーンの異様さ。

 



他の作品での有馬稲子は、丸みのあるキュートな顔に、ややたれたお茶目な目をしていて、愛嬌のあるイメージですが、『東京暮色』での有馬稲子のイメージには、そうした印象はすべて払拭されており、視線は鋭ささえ感じさせるのです。

それは、この前髪の異形さから来ているように思います。







有馬稲子の「髪をとかし額を見せない女」のイメージは、小津映画のほとんどすべての額の隠さない女優達と対極にあります。
(例外は、『東京暮色』の有馬稲子と『早春』の岸恵子のみ)
そして、物語上の役割も、他のホームドラマにおける存在とは対極で、悲劇的であり、端的にこの映画で彼女は自殺的な行為をするのです。


有馬稲子の前髪は、そんな物語上の機能をもっていて、有馬稲子の憂鬱な美しさに、鈍い感動を付け加えるくれるのだと思います。

なにやらややこしい話になって、すみません。



 



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