来る3月23日はジョーン・クロフォードの生誕119周年です。
(1905年3月23日生誕 - 1977年5月10日死没)
それを記念して、彼女の作品を紹介いたします。
『女性たち』(1939)
監督 ジョージ・キューカー
出演 ノーマ・シアラー、ジョーン・クロフォード、ロザリンド・ラッセル、ジョーン・フォンテイン、ポーレット・ゴダード
撮影 ジョセフ・ルッテンバーグ他
【あらすじ】
裕福なメアリーは、夫がショップガールのクリスタルと浮気していることに気づいていない。
シルヴィアとイーディスは、ネイリストの話からこのことを知り、メアリーにその噂話を聞かせるよう仕向け、メアリーが知ってしまう。
メアリーは離婚をするために、リノに向かうのだが、列車の中で、伯爵夫人とミリアムに出会う…
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『セックス・アンド・ザ・シティ』のようなアメドラでのラブコメのジャンルがあります。
私は、その分野に通じていませんが、『セックス・アンド・ザ・シティ』の映画版は観ていますし、他にもラブコメというかどうかわかりませんが、『デスパレートな妻たち』や『アリー・MyLove』などは、ある程度は観ています。
(『フレンズ』や『ビバリーヒルズ高校白書』は観ていません)
さて、そんなアメドラと、ハリウッドクラシックやフランスの華麗な女優達が出演する映画とは、まったくかけ離れたものではありません。
クラシック映画にも、そうしたアメドラのラブコメ的な軽さや俗っぽさをもった作品が多くあり、中には、驚くべき素晴らしい作品もあるのです。
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私にとっては、そうした作品の最高峰(というほど崇高なものではありませんが)『フィラデルフィア物語』でした。
※キャサリン・ヘップバーン、ケーリー・グラント、ジェイムス・スチュワート主演
『フィラデルフィア物語』を超える作品はこちらです。
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映画に限らず、芸術作品というのは、私たちの知性を超えた荒唐無稽の、無限大の何ものかです。
怪物的と言ってもいいでしょう。
芸術作品の持つそんな怪物的な力に私たちは、時に感涙したり、時に爆笑したり、時に痛快感を覚えたりします。
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一般に、シリアスな人生のドラマや社会派映画こそが、哲学や実存を扱っており、王道の芸術的な映画と思われております。
映画のベスト10などには、そうしたものが並んでいます。
※例えば、キネマ旬報の1999年の洋画オールタイムベスト100の上位は以下のような映画が並びます。(論評は差し控えたいとお思います):
- 『第三の男』
- 『2001年宇宙の旅』
- 『ローマの休日』
- 『アラビアのロレンス』
- 『風と共に去りぬ』
- 『市民ケーン』
- 『駅馬車』
- 『禁じられた遊び』
- 『ゴッド・ファーザー』
- 『道』
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私はそうした考え方に強く反対します。
優れた映画とは、シリアスなものばかりではないのです。
映画史上の最高傑作の中には、この『女性たち』のような、軽くて俗っぽい作品も堂々と含めたいと思います。
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それほどまでに、この『女性たち』という作品は、軽くて俗っぽい話です。
高級エステサロンのネイリストの噂で、ノーマ・シアラーの夫の不倫が発覚し、ノーマ・シアラーが離婚手続きのためにリノへ向かうのですが、その噂を流した無責任なロザリンド・ラッセルも夫婦間の不和が発生し、リノへ行ったところ、その不和の原因となったポーレット・ゴダードがそこにいて、大騒ぎになります。
そこへ、純情可憐なジョーン・フォンテインがいたりします。
そして、ノーマ・シアラーが、夫の再婚相手のジョーン・クロフォードに復讐を果たそうとする・・・
アメドラのラブコメでありそうな、現代的かつ世俗的なストーリーです。
ここには、社会派的な深みもありませんし、いわんや、哲学的や実存的な問題など、これっぽっちもありません。
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しかしながら、これがいいのです。
真の映画のコメディとは、『女性たち』のことではないかと思ったりもするくらいです。
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真のコメディ映画だと思うのは、この映画にはギャグや、コメディアンは出てこないことがあります。
コメディとは、おかしい顔で笑わせたり、予定調和のギャグを披露して、下卑た笑いを誘うものではありません。
荒唐無稽なストーリーで、抱腹絶倒させるのが真のコメディなのです。
そして、この『女性たち』が荒唐無稽な映画の筆頭です。
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ところで、この映画は何と言っても、稀有な、男性が画面に出ないという特異な映画なのです。
子役から年寄りの役まで(犬まで!)、出演している全員が女性なのです。
※もう1つは『8人の女たち』(2002)
夫たちの不倫がたびたびテーマになるのですが、夫たちは画面の外や、電話口の先に追いやられているのです。
ルビッチが『天使』で、修羅場の会食の場を映さず、その会食の場から出てくる執事たちの反応だけで、その修羅場を想像させるような手法をとったように、この映画の夫たちについては、妻たちから想像ができるのです。
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男たちが排除されることで、この映画は、「女優王国」MGMの5人の女優たちの競演の場となります。
それだけでも、心が躍るのを抑えられません。
※うがった見方をすると、1935年のヘイズコードの成立により性を直接的に描くことが業界で自主規制されてきたことへの対抗策として、この映画の製作者たちは、性を描けないなら、いっそ極端なまでに、男性を出さないことで、ラブシーンはおろかキスシーンなど介入する余地を徹底的に排除したのかもしれません。
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ここでは、主演女優の1人のジョーン・クロフォードについて取り上げます。
ここでのジョーン・クロフォードほど、高慢な美女はいないでしょう。
ノーマ・シアラーの夫を奪う役なのですが、そのことに一切悪びれることなく、職場であるデパートの香水売り場に顔を出してきたロザリンド・ラッセルに悪態をつくという、嫌な女ぶりを存分に披露します。
よくもこんな憎たらしい表情ができるかというくらいの表情を、この映画では何度も見せるのです。
ラストシーン近くで、ノーマの逆襲に遭ったジョーン・クロフォードは、悪態をつきながら、こんな捨てゼリフを言います。
淑女の皆さんにぴったりの名前があるんだけど、上流社会じゃ使えない言葉なの。
上流社会は犬小屋じゃないから。
検閲にひっかからないように、匂わせてはいるのですが、要は「皆さんは、ビッチね(雌犬、嫌な女の意味)」と言っているのです。
そんな憎たらしさはさておき、同時に、ジョーン・クロフォードは、ハリウッド絶頂期のスターだけあって、その完璧な造形美には見とれてしまいます。
すっと伸びる眉毛の形の美しさ、笑ったときの歯並びの見事さと頬の形、唇の広く滑らかな曲線。
さすが、ディートリッヒ、ガルボというヨーロッパの美女たちに対抗しただけのことはあります。
孫引きで恐縮ですが、衣裳デザイナーのエイドリアンによるジョーン・クロフォードについての言葉を山田宏一の著書から引用します:
くちびるが豊かで大きな口、キラキラ光る大きな眼、それに馬のように大きな鼻孔が異様に目立つ顔だったが、鼻筋は通っていて完璧なほど美しく、額も広く美しいので、えらの張ったあごや、眼や口の大きさを強調しても、見事にバランスのとれる顔だった。
また、ジョーン・クロフォード自身はこの映画について以下のように語っています。
台本も演出も第一級で、もとのブロードウェイの舞台を上まわっているわ。こちらのほうには躍動感があるから……
クリスタルの役は危険だってことはわかっていた。でも、演らずにはいられなかった。はじめから読めるわよ―― ノーマは観客の共感を手に入れ、ロザリンド・ラッセルは映画をさらい、私はブーイングされる憎まれ役だってことは。
そして事実そのとおりになったのだけど、私の演技は文句なしだった。
キューカーの演出が最上。こういうのをピカイチの映画というのよ。出られたことが誇りに思える映画ね。
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3人目は、驚くべきロザリンド・ラッセル。
ハワード・ホークスの『ヒズ・ガール・フライデー』でのロザリンドのマシンガントークを忘れることはできませんが、この作品での彼女は素晴らしい演技を見せています。
ロザリンド・ラッセルのせいで、ノーマ夫婦が離婚し、娘がノーマに引き取られてしまう悲劇を招いてしまうので、彼女の存在がその悲劇の元凶とも言えるのですが、彼女がノーマのように人間味のある存在だと、このコメディが台無しになっていたでしょう。
ロザリンド・ラッセルは、からっからに乾いた存在だからいいのです。
喜怒哀楽を隠さず、徹底的に他人の不幸はお構いなしという図々しさをもっているので、この映画が軽やかなコメディとして成立しているのです。
コメディとはそういう残酷さが魅力であり、そうした残酷さを失ったコメディは、予定調和的であり、吉本興業の漫才レベルになってしまうでしょう。
真のプロフェッショナルは、コメディであっても、笑いに全力を賭け、その努力の痕跡を見せないものだと思います。
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4人目は、ポーレット・ゴダード。(彼女はMGM所属でななく、パラマウント所属です)
下げた前髪をカールしているキュートな髪型に加え、潤んだ唇も魅力的です。
何と言っても、リノで、ロザリンド・ラッセルの夫との不倫が発覚し、そのロザリンドと取っ組み合いになるキャットファイトシーンの素晴らしさ。
さすが、チャップリン夫人です。
ロザリンドにショートパンツを脱がされるという屈辱を受け、ポーレット・ゴダードが暴れて、ロザリンドにキックを食らわせるシーンの痛快さ。
キュートな顔とのギャップがあまりにも大きく、爆笑してしまいます。
(なお、その仕返しに、ロザリンドはポーレットのふくらはぎに嚙みつきます)
キャメロン・ディアスが継承しているのは、ポーレット・ゴダードのこうした少し下品で軽やかなコメディエンヌぶりです。
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最後に、ジョーン・フォンテイン。(彼女はMGM所属でななく、パラマウント所属です)
彼女については、ジョージ・キューカーの言葉を引用します。
あの電話のシーンは歴史的一瞬だったといってもいい。あのときまでジョーンは女優でやっていきたいとは思いながら、演技に自信をもてないでいた。ところが、あのシーンを演じて演技力に自信を深めることができた。あのシーンを演じた経験がこういう意識をもたせた。『やってきたことは正しかった。私は女優として生きていける……』と。そしてこの転機があったからこそ『レベッカ』の主役を射止めることができたのだと私は思っている。
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なお、この名作はメグ・ライアン、アネット・ベニング主演で『明日の私に着替えたら』としてリメイクされています。
※アネット・ベニングは好演していますが比較するのが可哀想です。
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