本日1月19日は、ヘディ・ラマーの没後24周年になります。
それを記念して彼女の作品をご紹介いたします。

 

ヘディ・ラマー / Hedy Lamarr
1914年11月9日 - 2000年1月19日
オーストリア、ウィーン生まれ

  • ユダヤ系の両親の元に生まれ、女優を志しベルリンで演劇を学ぶ。
  • スクリプターとして映画界へ入る。
  • 1930年 端役で映画デビュー。
  • 1933年 ヘディ・キースラーの名義でチェコ映画『春の調べ』で全裸シーンを演じる。
  • 結婚を機に一時引退するも、夫から逃げパリへ。
  • パリでルイス・B・メイヤーに出会い、ハリウッドに招かれる。ヘディ・ラマールに改名。
  • 発明家としても知られ、第2次大戦中に周波数ホッピングスペクトラム拡散の初期的な技術を開発。


こちらは、ヘディ・ラマーのハリウッドデビュー作です。
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『カスバの恋』(1938)
監督 ジョン・クロムウェル
共演 シャルル・ボワイエ
撮影 ジェームズ・ウォン・ハウ
製作 ウォルター・ウェンジャー

【あらすじ】        
アルジェリアのカスバに逃げ込んだ宝石泥棒ペペは、きらびやかに身を飾った女ギャビーに惹かれる。
彼女を連れて逃げ出そうとするのだが、嫉妬した情婦の密告で彼の運命は危機に瀕するのだった。

 

ヘディ・ラマーは、極めて特異な女優です。

まず、ハリウッドでの売り出され方が、「世界で最も美しい女」だったのです。いくら宣伝文句とはいえ、そうむやみやたらに使われる言葉ではありません。それも「女優の帝国」MGMからの女優だったわけですから、それはグレタ・ガルボを凌ぐレベルを意味していました。

また、ハリウッドに来る前に、16歳のときに、チェコスロバキアの映画で全裸(乳房もヘアも)を披露しています。(アメリカでの公開タイトルは「エクスタシー」です)1932年という時代でのヌードは、スキャンダラス極まりなく、

更には、発明家というキャリアです。
第2次大戦中ということは、彼女が30歳前後の頃に、通信暗号の世界で発明を行い特許を取得するなどという逸話はにわかには信じがたいです。


さて、そんなヘディ・ラマーのハリウッドデビュー作がこちらの『カスバの恋』です。

そこでのヘディ・ラマーの美しさには、真に息を呑みます。
MGMが「世界で最も美しい女」と宣伝した理由が分かる気がします。

黒髪を中央で分けた彼女の髪型は、ヴィヴィアン・リーを想起させます。
(なお、ヴィヴィアン・リーとヘディ・ラマーは1歳違いです)

白い滑らかな肌、濡れたように光る唇の艶と輝き、濃い眉に隠れた深い彫りの瞳、黒々とした髪、いずれも彼女にしかないというわけではないのですが、そのオーラと存在感は、共演のシャルル・ボワイエを圧倒します。

とりわけ、シャルル・ボワイエを振り返るときの顔と瞳の動きは素晴らしいものがあり、カットを割らなくても、十分に視線の動きが伝わります。

































戦後ヨーロッパを代表する撮影監督のネストール・アルメンドロスは、以下のように述べています:

 

髪の色が暗く、目の色が明るい人は、顔をめぐるコントラストの効果によって、映画ではたいへん魅力的に映る。
金髪で目の色もたいそう明るい人は、視覚的にいささか単調になってしうため、撮影が難しい。
ジーン・ティアニーとヘディ・ラマーという、髪が暗色で日の色が非常に明るい二人の女性が、スクリーンで大いに評判を呼んだのも偶然ではない。


このように、映画における女優の「映え」の必要要件を、ヘディ・ラマーは満たしていたからこそ、「世界一美しい女」を体現することができたのでしょう。

 

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