1月14日は、フェイ・ダナウェイの生誕83周年でした。
それを記念して彼女の作品を紹介します。

フェイ・ダナウェイ/Faye Dunaway
1941年1月14日 フロリダ州バスコム生まれ

  • 軍人だった父の関係で任地を転々として育つ。
  • ボストン大学在学中にエリア・カザンと知り合い、彼の勧めでリンカーン・センター・レパートリー・シアターに入団し、ブロードウェイ・デビュー。
  • 1967年『真昼の衝動』で映画デビュー。
  • 1968年『夕陽よ急げ』を経て『俺たちに明日はない』に出演して一躍注目を受ける。
  • その後『三銃士』『タワーリング・インフェルノ』『チャイナタウン』『コンドル』と大作、話題作に出演。
  • 1976年『ネットワーク』ではアカデミー最優秀主演女優賞を受賞した。
  • 私生活ではジェリー・シャッツバーグ監督やマストロヤンニとのロマンスが有名で、1974年ピーター・ウルフと結婚したが5年後に離婚。

『コンドル』(1975)
監督 シドニー・ポラック
撮影 オーウェン・ロイズマン
共演 ロバート・レッドフォード

【あらすじ】
実はCIAの下部組織であるNYのアメリカ文学史協会が何者かに襲撃され局員は皆殺しにされた。
偶然、その現場に居合わせなかったため命拾いをしたコードネーム“コンドル”は、CIAと緊急連絡を取り落ち合う事にするが、その場所でコンドルを待っていたのは、上司から向けられた銃口だった・・・

 

ハリウッド黄金期が過ぎ去った1960年代以降、アメリカ映画は衰退の一歩をたどりました。

凋落が顕著だったのは監督ですが、男優も女優も撮影監督も力不足が否めませんでした。


女優に関して言えば、1960年代・70年代のアカデミー賞主演女優賞は、エリザベス・テイラーが2回、キャサリン・ヘップバーンが3回、ジェーン・フォンダが2回と、やや集中が見られます。
裏返せば、アメリカでは新進女優が不作だったのです。

この時代は、カトリーヌ・ドヌーヴとアンナ・カリーナに代表されるヨーロッパ女優の躍進の時代であったのです。

数少ない、この時期に新たに登場してきたアメリカ女優としては、以下が挙げられるでしょう:

  • ジュリー・クリスティ(1940年生まれ)
  • ラクエル・ウェルチ(1941年生まれ)
  • バーブラ・ストライサンド(1943年生まれ)
  • ミア・ファロー(1945年生まれ)
  • ダイアン・キートン(1946年生まれ)
  • メリル・ストリープ(1949年生まれ)
  • ジェシカ・ラング(1949年生まれ)

こうした1940年代に生まれた女優たちは、ハリウッド黄金期の淑女・貴婦人・娼婦の美学ではない、別の美学に沿った女優たちではありましたが、小粒感は否めないのです。(ヌードになる必要性や、ベッドシーンなども要求されるようになったこともあるでしょう。)


さて、1941年生まれのフェイ・ダナウェイは、中でも、最も古典的な美女に近く、圧倒的な美貌を誇っていました。

話題になったのは、かの『俺たちに明日はない』でしたが、その後の作品群では、その美貌を生かし、1976年にはアカデミー賞主演女優賞を獲得するに至ります。


さて、この『コンドル』は、ロバート・レッドフォードが中心の作品で、フェイ・ダナウェイは助演に近い存在です。

しかしながら、その美しさは、目が覚める思いがします。

透き通るような白い肌と、端正な眉、すっと伸びる鼻のライン・・・ ラクエル・ウェルチにシックネスを足したような、優雅な古典的な美人がいます。

ニューヨークに住む女写真家という設定はしっくりと来ます。

ストーリーの強引さをはじめ、映画のアラについてはさておき、映画のもっている、ご都合主義的なわくわく感の醸成に貢献しているのは、ロバート・レッドフォードではなく、フェイ・ダナウェイだと思います。























#ハリウッド女優
#女優
#映画女優
#映画好きな人と繋がりたい
#洋画好きな人と繋がりたい
#女優好きな人と繋がりたい 
#女優さん好きな人と繋がりたい
#女優好きさんと繋がりたい
#女優志願
#女優志望
#クラシック映画
#最も偉大な女優
#フェイダナウェイ

#cinemaclassic 
#classicmovies 
#vintagemovie
#hollywoodlegend
#oldhollywood
#vintagehollywood
#classichollywood
#goldenageofhollywood

#actress
#elegance
#fayedunaway