来たる12月1日の藤純子(富司純子)の生誕78周年を記念して、藤純子の作品を紹介しています。
(1945年12月1日生まれ)
『日本侠客伝 昇り龍』(1970)
監督 山下耕作
共演 高倉健、中村玉緒、鶴田浩二、片岡知恵蔵、伊吹吾郎、遠藤辰雄、荒木道子、加賀邦男、諸角啓二郎、天津敏
撮影 吉田貞次
【あらすじ】
二つの組が激突する風雲の洞海湾。
ゴンゾ衆の生活向上を願う石炭仲仕の小頭玉井金五郎は小頭組合を結成しようと運動するが、それが共同組幹部の友田の怒りに触れた。
共同組の幹部に襲われ深手を負った金五郎を救ったのは、浅草の女刺青師お京だった。
瀕死の金五郎を匿い看病を続けるお京は、金五郎の体に一生一代の刺青“昇り龍”を彫り込んだ。
金五郎が若松に帰るとパナマ船荷役をめぐる抗争が待ち構えていた…
■
この作品での藤純子が最も官能的ではないでしょうか。
とは言っても、ベッドシーンもヌードもキスシーンもありません。
ここでの藤純子は、女刺青師として、高倉健の肩に墨をただ入れる役です。
藤純子は、自らの命を彫るのだと言って、昇り龍を高倉健の左肩に彫るのですが、高倉健は玉の絵の代わりに菊にしてくれと頼みます。
それは、この映画に先立つ『日本侠客伝 花と龍』でのエピソードを踏襲していて、菊とは高倉健の妻である中村玉緒を象徴なのです。
つまり、そこで藤純子の想いは、報われないことが暗示されているのです。
高倉健の右肩に下り龍を彫る時間が無くなってしまい、2人は、3日後に続きをという約束をするのですが、それは大事件の収拾にあたった高倉健によって反故にされます。
しかしながら、藤純子は昇り龍の中に、自らの名前の「京」の字を、こっそりと彫ってあったのです。
ある日中村玉緒はそれを目ざとく見つけ、高倉健の愛を感じながらも、別の女の存在可能性に思いをはせます。
ここで、刺青を通じて、3人の人間関係が、静かに語られるのです。
メールだのLINEだのを通じた三角関係の修羅場のような通俗性はありません。
何という美しい語りでしょうか。
■
下り龍を彫ることの想いを胸に、藤純子は落ちぶれていくのですが、死ぬ間際にようやく高倉健の昇り龍を再見することが出来ます。
そこで、藤純子は、高倉健の肩の刺青の近くに、そっと頭をつけるだけです。
(近年のあられもない映画だったら、刺青に接吻でもしたことでしょう)
外の暗闇には、枯葉が時折落ちて、死を予告しています。
藤純子は、下り龍を彫る気力はないのですが、必死に刀を持って、高倉健の肩にあることを施し、死に絶えます。
その死に行く姿の白い着物を着た藤純子の美しさは、映画史に残るのではないかと思うほどです。
『椿姫』のグレタ・ガルボ、『ロミオとジュリエット』のノーマ・シアラー、『散り行く花』のリリアン・ギッシュを思い出せるほどです。
抱きかかえた藤純子を、布団へと横たえた高倉健の肩にキャメラがズームをすると、肌の一部が丸く赤く潰れています。
果たして、そのあることとは、「京」の字を消すことだったのです。
このように、映画とは映像で語ることです。
高倉健も、藤純子も、中村玉緒も、饒舌に愛を語ることはなく、美しい映像の断片で愛が語られるのです。
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