本日7月20日のナタリー・ウッドの生誕86周年を記念して、ナタリー・ウッドの作品を紹介しています。
(1938年7月20日 - 1981年11月29日)
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主演は、かのジェームズ・ディーンであり、そして、この作品は彼の最高傑作だと思いますが、共演女優のナタリー・ウッドにも注目したいところです。
『理由なき反抗』(1955)WB
監督 ニコラス・レイ
共演 ジェームズ・ディーン
撮影 アーネスト・ホーラー
【あらすじ】
17歳の少年ジムはこの町に引っ越してきたばかりだが、酔っ払って警官に捕まる。
その晩に起こった集団暴行事件の容疑者として警察に連行された彼は、そこで美しいジュディと、まだ子供のようなプレイトーと知り合う。
間もなく2人は帰宅を許され、ジムも温情ある少年保護係のレイ主任の取りはらいで帰ることができたが、この3人の出会いは、やがて彼らの持つやり場のない苛立ちを露呈する事件へと結びついてゆく…
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ナタリー・ウッド(Natalie Wood)
1938年7月20日 - 1981年11月29日
- ロシア系3姉妹の次女。妹、ラナ・ウッドも女優。(『007/ダイヤモンドは永遠に』)
- 4歳の時、ロケに訪れたアーヴィング・ピシェル監督に気に入られ、小さな役で出演。
- 4年後、ピシェル監督の所属するユニヴァーサルと正式契約し『離愁』で映画デビュー。
- 1947年『三十四丁目の奇蹟』で一躍有名になる。
- スタジオ内の高校を卒業後、1955年『理由なき反抗』でジェームズ・ディーンの恋人役を演じて子役から転進し、アカデミー助演賞にノミネートされた。
- 以降もトップ・スターの名を欲しいままにして『ウエスト・サイド物語』、『草原の輝き』など、多くの作品に出演。
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1950年代、ハリウッドが産業的に斜陽になった時代に、ハリウッドは戦後のティーンエージャーたちの風俗を取り入れました。
その典型が、ジェイムズ・ディーンでした。
とはいえ、この作品が公開されたときディーンは24歳なので、ティーンエージャーではありません。
一方、1938年生まれのナタリー・ウッドは、この映画の公開時は17歳と、正にティーンエージャーでした。
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1950年代の女優は、オードリー・ヘプバーンのようなヨーロッパのテイストを持った女優や、『陽の当たる場所』のエリザベス・テイラーや、『泥棒成金』のグレース・ケリーのような上流階級を演じる女優がまだまだ支配的でした。
(一方で、ベティ・グレイブル、マリリン・モンロー、ジェーン・マンスフィールドなどピンナップガール系の女優の一群もいました)
そんななか、エリザベス・テイラーよりも6歳若い新世代の女優として、ナタリー・ウッドは子役から変貌しました。
(なお、この後、同じく1938年生まれのジーン・セバーグが登場します ---『聖女ジャンヌ・ダーク』(1958))
その新しさは、まだこの作品で全開しているわけではないですが、新世代のスターのジェームス・ディーンの相手役を務めたことを通じて、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされましたし、ジョン・フォードの『捜索者』(1956)では極めて重要な役も演じることになります。
そして、高校を卒業し、本格的に活躍するのは『草原の輝き』(1960)以降のこととなります。
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