8月20日は、司葉子の生誕89周年にあたります。
それを記念して、司葉子の作品を取り上げています。

 

『乱れ雲』(1967)
監督  成瀬巳喜男
撮影 逢沢譲
美術 中古智
音楽 武満徹
共演 加山雄三、草笛光子、森光子、浜美枝

【あらすじ】
自分が妊娠していることを知った由美子は、通産省に勤める夫の宏と幸せな生活を送っていた。
夫はアメリカ派遣も決まり順風満帆に見えていたが、交通事故で命を落としてしまう。
宏を轢いた三島史郎は無罪となったが、青森へ左遷させられ、常務の娘との婚約も破棄された。
史郎は向こう10年間、由美子に毎月15万円の慰謝料を支払う契約を結ぶ。
夫の両親から籍を抜かれ、お腹の子供を堕ろした由美子は、青森の史郎を訪ねた…

 


日本映画黄金期の偉大な監督、成瀬巳喜男の遺作です。

交通事故死を扱っているのは、奇しくも同じく司葉子が出演した『ひき逃げ』と同様です。
また、被害者側への謝罪がいつの間にか愛情に変わっているのは、ダグラス・サークの『心のともしび』を想起させます。


そのような、いかにもお涙頂戴の御都合主義にもかかわらず、素晴らしいメロドラマです。
ここには成瀬巳喜男の演出術のエッセンスがつめこまれています。


まず、振り返る女の視線の素晴らしさ。

成瀬の映画では、しばしば女が歩き振り返ります。そこで、絶妙な編集が行われることで、視線に強い力が宿ります。

この『乱れ雲』では、例えば、司葉子が旅館の女将たちの宴席を抜け出したところで、偶然加山雄三に偶然出会うシーン。
そこで、司葉子はこれまでにないほど、強い口調で加山雄三に金輪際会いたくないと拒絶をします。
司葉子は、バーのあるロビーで追いかけてくる加山雄三を振り払い、数歩歩いて振り返ります。
「来てもらいたくないわ。こないだお母さまがお見えになったわ。色々話をきいたわ。」
そして、また、今度は窓際へと歩み、
「とってもいい子だったんですってね... どうして会うんでしょう。私がせっかく忘れようとしているのに」
と言い、そしてまた振り返ります。
「どっか行ってしまって。もう二度と会わないような遠いところへ行ってしまって」
と、これまでにないように語気を強めて、顔を伏せてロビーから去っていきます。

それまでも、幾度か観た拒絶より遥かに強い拒絶がここで描かれ、単なるメロドラマではない、強い演劇的な世界があるのを感じ取ることが出来ます。
















そして、セット撮影による光の素晴らしさ。
端的に言うと、ロケ撮影や、実在する場所を借りての撮影では、美しい光は生まれないのです。
スタジオでセットを組んだ室内撮影での繊細な照明や撮影こそが、本家本元なのです。

この1960年代までの日本映画では、辛うじて、スタジオ撮影が充実していました。
1970年前後には、大映の倒産など、日本映画が急速に斜陽になり、成瀬のいた東宝は、5社に分割された子会社による製作へ移行してしまい、スタジオ撮影の伝統が失われていくのです。

この『乱れ雲』では、病に倒れた加山雄三を、司葉子が夜通し看病をするシーンが正にそうした照明の素晴らしさを味わうことができます。
日本間の外で落ちる稲妻が、司葉子で光を点滅させます。
そのシーンは、雷鳴の音とあいまって、まるでワーグナーのオペラのような悲劇性を実現しているかのようです。
こんな通俗的なメロドラマにそうした瞬間が訪れるというのには、本当に驚きます。













また、葬儀のときに、顔をあげた瞬間に、司葉子の顔に当たる照明の的確さ。

 





寝苦しい夜の司葉子への光。

 



去り行く加山雄三の宿へと訪れる司葉子。





他にも成瀬の映画術の素晴らしさを挙げていくときりがありません。
また、司葉子の美しさについても、同様です。

いずれにせよ、お嬢様女優・良妻賢母女優という通俗的なイメージから遥か離れたところに、この映画の感動はあります。



















































 

この宿屋のシークェンスが素晴らしいのは、好んで受け入れたとは思えないシネマスコープのカラー画面の中に、成瀬巳喜男がほとんど唐突に男と女だけに還元された構図を導入し、ともすれば自分の手から逃れそうになる映画を、思いきり自分の側に引き戻そうとする無謀なまでの意志が画面に充満しているからだ。

映画作家としての成瀬巳喜男の意志は、草木の生い茂る宿屋の中庭に降りかかる夜の激しい雨の光景が、ごく短いショットで挿入され、外界からの二人の孤立をきわだたせる瞬間から、素肌に触れる気配となってあたりにゆきわたる。

司葉子がひたむきに氷を砕く洗面所に雷鳴がとどろき、稲光が人影のたえた奥行きの深い廊下を孤独に照らし出すとき、それは否定しがたいかたちで視覚化されることになるだろう。

女が男の枕元にもどると、その直後に電灯が消え、そのはんの一瞬の停電と同時に、稲妻が背後の障子を不気味に照らしだし、横たわる男の床にかがみこむ女の姿を黒々と孤独に浮かびあがらせる。

そのときそこに出現するのは、特殊な照明のもとで世間から孤立する男女という、成瀬巳喜男自身による映画の定義そのものにはかならない。(...)

おそらく、この稲妻にまばゆく照らしだされる看病の場面がなければ、『乱れ雲』がこの監督の遺作にふさわしい出来栄えを示すにはいたらなかったに違いないからである。
(蓮實重彦)

 

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