来る6月17日は原節子の生誕104周年です。
(1920年6月17日生誕 - 2015年9月5日死去)
それを記念して原節子の作品を紹介します。

 

『晩春』(1949)
監督 小津安二郎
撮影 厚田雄春
共演 笠智衆、月丘夢路、杉村春子、宇佐美淳、三宅邦子

【あらすじ】
鎌倉で一人娘の紀子と2人で暮らす大学教授の曽宮周吉。
妻を早くに亡くしたこともあり、紀子は27歳になる今でも父を置いてよそへ嫁ごうとはしなかった。
周吉の実妹・田口まさは、そんな2人が気が気でなく、何かと世話を焼いていた。
いつまでも渋る紀子を結婚させるため、周吉はついにある決断をするのだった…。

 

原節子と小津安二郎の紀子三部作の最初の作品となります。
この後、『麦秋』『東京物語』と続きます。
(加えて言えば、笠智衆は、それぞれで、紀子の父、兄、義父役をそれぞれ演じるのです)

『晩春』の凄まじさについては、とてもじゃないですが、語りつくすことなどできないでしょう。
『麦秋』の軽やかさ、『東京物語』の哀しみとも別の魅力が宿っています。

原節子による父笠智衆への愛の断念こそが、この映画の最大の力点となっています。

そして、この映画で、原節子は穏やかな狂気を帯びているようでさえあります。




















素晴らしいのは、なんと言っても京都旅行の宿のシーンでしょう。


旅館の部屋で、布団が敷かれた座敷で、原節子と笠智衆は、それぞれの布団の上に並び、同じ方向を向きます。
(その不自然さ。小津の作品とは不自然さの世界です)
そして、原節子が電灯を消し、そろぞれが床にはいり、月光が部屋へと差し込みます。

原節子の顔へ、繊細極まりない照明が落ち、笠智衆との旅行や、その際に知った親族の後妻の人柄を語り、原節子はこの映画にあって最も晴れやかで解放的な表情を見せます。

そこで、原節子は次のように笠智衆に話しかけます。
「ねぇ、お父さん。あたし、お父さんの(再婚の)こと、とても嫌だったんだけど…」

 

しかし、笠智衆は既に寝入っているようで、返事が無く、静かに寝ていることが示されます。
 

月影が差す障子の前の壺が二度映り、そのシーンが終わるのですが、このシーンを通じて、原節子と笠智衆とのが離れ離れになってしまうのです。

 

それは『麦秋』の全員の記念撮影のシーンを思い出せます。それもまた別れを準備するシーンでした。













なお、この壺が挿入されることについては、蓮實重彦は以下のように述べて、娘の愛に対する父の拒絶を読み取っています。
 

壺がそうであったように、父親の寝顔も明るい障子を背景にしてシュリエットとして浮びあがってくるなら、その類似によって、彼は床の間の置物の持つ物質性と装飾品としてのよそよそしさを模倣し、そのことで娘の愛の放散に耐え、その期待を遠ざけていたことになるだろう。


前景と後景の明暗の対比、不動のシュリエット、キャメラ・アングルの類似性といったいくつもの細部が、寝顔と壺との等価性を証拠だてている。
 

小津の才能は、物質を模倣する父親という状況を視覚的に創造することで、心理を超えた表層性において事態を直裁に表現してみせる点に存している。
 

壺は、ここでは父親そのものなのだ。
 

人が、晩春の夜や旅さきの夜として知っている時間や空間の表象であることを超え、娘の性を拒絶する父親による物質の模倣という事態を視覚的に表現する細部として、障子の月影が存在しているのである


現代の私たちを囲む映像は、本当に貧しいものばかりです。
煌びやかなだけだったり、刺激的なだけだったりしますが、精神的に貧しいのです。


この京都の宿の夜のシーンに豊かに広がる、穏やかで繊細な映像の語り口は、かつての日本映画が持っていた精神の崇高さを感じさせます。

そうした日本映画界に欠かせなかったのが、原節子だったのです。

 

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