4月10日は、デルフィーヌ・セイリグの生誕92周年でした。
(1932年4月10日生誕 - 1990年10年15日死没)
それを記念して、彼女の作品を紹介しています。

 

『ミュリエル』(1963)
監督 アラン・レネ    
共演 ジャン=バティスト・チェーレ、ジャン=ピエール・ケリアン、ニタ・クライン
撮影 サッシャ・ヴィエルニ
原作・脚本 ジャン・ケイヨール 

【あらすじ】
骨董屋を営む未亡人エレーヌはカジノに通って孤独を癒すが、大戦後別れた初恋の相手アルフォンスに会いたくなり手紙を認める。
やがて、既に初老の彼は情婦のフランソワーズを姪と偽って連れ、彼女のもとにやってくる。
一方、彼女の養子ベルナールはアルジェ紛争で戦線にいた時、自分の過ちによって死に至らしめた娘(彼は“ミュリエル”と呼ぶ)の記憶にさいなまれていたが、現実に恋人もいる……


デルフィーヌの設定が、初老に入りつつある、地方で骨董品を営む未亡人という役なので、ガブリエル・シャネルの衣裳とアクセサリーに身を包んだ前作『去年マリエンバードで』とは、全く違う味わいを残します。

ベージュやモスグリーンという、華麗さから程遠い衣裳に身を包みつつも、デルフィーヌの端正な顎のラインとショートヘアは、この重苦しい映画を救っているだけでなく、芸術映画として超一流の気品を加えます。

 

















以下は、女優論とは関係ありません。蛇足です:

ところで、この映画は、1960年代の前衛運動がいかに意欲的だったかを、よく示しています。

アラン・レネは、アルジェリア戦争やレジスタンスの記憶を都度示唆しながら、現在の人間関係の虚構性を、ショットのつなぎに変化をつけることで暴きつつ、一気に最後の、そうしたものを一掃するのです。

そうした手法は、『去年マリエンバードで』と全く違っており、一から構想されているのです。

そんな1960年代の前衛運動のミューズは、アンナ・カリーナでも、ベルナデット・ラフォンでも、ジャンヌ・モローでもなく、デルフィーヌ・セイリグだったのです。

 

『ミュリエル』になると、前進移動は、全篇がめまぐるしいまでの短いカットで結ばれている作品の最後に姿をあらわし、キャメラは、誰もいなくなったあとの女主人公のアパルトマンを、開け放たれた扉を通って、部屋から部屋へすりぬけてゆ
く。
そして、その移動する視点を介してわれわれが実感じうるものは、嘘言と、卑劣な自己弁明と、曖味な妥協からなりたっていた人間関係が、一瞬のうちに崩壊してゆく過程なのである。
(蓮實重彦)


#映画好きな人と繋がりたい
#洋画好きな人と繋がりたい
#女優好きな人と繋がりたい 
#女優さん好きな人と繋がりたい
#女優好きさんと繋がりたい
#女優志願
#女優志望 
#エレガンス
#フランス女優
#デルフィーヌセイリグ
#デルフィーヌセーリグ

#DelphineSeyrig
#JeanneDielman
#cinemaclassic 
#classicmovies 
#vintagemovie
#actress
#elegance
#actrice