明日7月6日は、ナタリー・バイの生誕76周年です。
それを記念して、ナタリー・バイの作品を紹介いたします。

 

ナタリー・バイ Nathalie Baye

  • 1948年7月6日 仏ウール県生まれ
  • 失語症のため14歳で学校を中退し、モナコのダンススクールに入学する。
  • ニューヨークでバレエを習得した後にパリの国立高等演劇学校で演技を学ぶ。
  • 1973年 『アメリカの夜』で女優デビュー。
  • 1982年 『愛しきは、女ラ・バランス』でセザール賞を受賞。
  • 1999年 『ポルノグラフィックな関係』ではベネチア映画祭のボルピ杯(最優秀女優賞)を受賞した。
  • 夫ジョニー・アリディとの娘はローラ・スメット

セザール賞受賞:
1981年 『勝手に逃げろ/人生』 ※助演
1982年 『Une étrange affaire』 ※助演
1983年 『愛しきは、女/ラ・バランス』 ※主演
2006年 『Le Petit lieutenant』 ※主演

 

『緑色の部屋』(1978)
監督 フランソワ・トリュフォー
主演 ナタリー・バイ、フランソワ・トリュフォー
撮影 ネストール・アルメンドロス

【あらすじ】
1928年、フランス北東部の田舎町の新聞『グローブ』で死亡欄を担当するジュリアンは、若くして亡くした妻を一日たりとも忘れたことはなかった。
妻の調度品の競売会場で働く女性セシリアと親しくなるが、一線を越えることを頑なに拒み、自分の殻に閉じ篭る彼は、古い礼拝堂を買い取り、妻と愛する古今東西の芸術家たちの霊を祭壇に祀り、日夜ローソクを灯し続ける。まるで自らの死を待つかのように……。
敬虔な祈りに没頭し、やがて病に死を覚悟した彼は、礼拝堂をセシリアに託す。


ナタリー・バイの特異性は、トリュフォーとゴダールの映画の両方に出演していることです。

彼女の本格的な映画デビュー作は、トリュフォーの『アメリカの夜』(1972)であり、『恋愛日記』(1977)に出演後、この『緑色の部屋』では主演を果します。

その一方で、ゴダールの『勝手に逃げろ/人生』(1981)に出演(セザール賞最優秀助演女優賞受賞)し、その後の『ゴダールの探偵』(1985)にも出演するのです。

 

1980年前後のフランス映画界は、ナタリー・バイの存在なくしては語れません。



さて、この『緑色の部屋』でのナタリー・バイは、自然光によってソフトに美しく浮かび上がります。

本来、彫りの浅い顔とシニョンにした髪のナタリー・バイのような女優は、映画史の正統派俳優とは対極にあります。
ガルボ、ディートリッヒの頃から、映画女優とは、彫りの深い、豊かな髪の毛の持ち主を女優として、スクリーンに映し出してきました。
(例外はルイーズ・ブルックスでしょうか)



















戦後の映画人たちには、ハリウッド黄金期の正統派の映画には逆立ちしてもかなわないという諦念があり、新たな女優像を生み出そうしてきました。
ゴダールが、ジーン・セバークと、アンナ・カリーナをミューズとし、時にBBさえ主演女優に据えてきたのは、そうした新たな美の追求ゆえであったと言えましょう。
(その意味で、ドヌーヴやイザベル・アジャーニは戦前的な女優です)

彫りの浅い女優ナタリー・バイ、そして、その娘のローラ・スメット、あるいは、イザベル・ユペールなどは、真に現代的/個性的な美女と言えましょう。


さて、この映画は、ネストール・アルメンドロスによって撮影されたものです。
同じくアルメンドロスの撮影による『恋のエチュード』『アデルの恋の物語』と共に、ローソク3部作と言われ、トリュフォーの映画で最も視覚的に豊かな作品となっています。

この作品がローソク無くしてはあり得ないことはご覧になった方には自明でしょう。
そんなローソクを撮れるのは、自然光の撮影監督アルメンドロス以外にもいなかったでしょう。

 

※なお、緑色の部屋は映画には出てきません。タイトルの「緑色の部屋」とは、フランス語で「控室」の意味で、語呂も良いから、という理由でトリュフォーがつけたそうです。

 







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