今日は、話題の日本映画に出演した韓国女優パク・ユリムを取り上げます。

 

『ドライブ・マイ・カー』(2021)
監督 濱口竜介 
共演 西島秀俊、三浦透子、霧島れいか、岡田将生、ソニア・ユアン

【あらすじ】
舞台俳優で演出家の家福悠介は、妻の音と穏やかで満ち足りた日々を送っていた。しかしある日、思いつめた様子で“今晩話がしたい”と言っていた音は、家福が帰宅する前にくも膜下出血で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまう。2年後、『ワーニャ伯父さん』の演出を任された演劇祭に参加するため愛車で広島へ向かう家福は、寡黙な女性みさきを専属ドライバーとして雇うことに。やがて様々な国から集まったオーディション参加者の中に、かつて音から紹介されたことのある俳優・高槻耕史の姿を見つける家福だったが…。 

 

ご存知の通り、カンヌ映画祭で脚本賞を受賞し、日本映画としては初めてアカデミー賞4部門にノミネートされた作品です。

村上春樹の短編小説に、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』を劇中劇として取りこんでいます。
この点で、チェーホフの現代的解釈であるだけでなく、村上春樹の原作を超える普遍性を獲得した映画であるという論評もあります。
(あるいは、霧島れいかのやつめうなぎ的存在感が映画を活気づけているという論評も)


さて、このブログでは、この映画への賛辞は後回しにするとして、パク・ユリムの素晴らしさを書きとめたいと思います。

パク・ユリムは、聾唖者にもかかわらず、韓国手話を使うことで、女優として舞台へ参加します。(ソーニャ役)

 



 

「あぁ、またポリティカリーコレクトネスで、ダイバーシティか...」と、観る人は思うことでしょう。
しかし、終盤で劇中劇が完成しつつあるとき、パク・ユリムが圧倒的な存在となるので、そんなことは快く忘れてしまいます。

パク・ユリムが、エレーナ役のソニア・ユアンと、屋外で立ち稽古するシーンの素晴らしさ。




そして、西島秀俊がワーニャ伯父さんの役で本番の舞台を立ち、そのクライマックスで、次のようなセリフを言うシーン。

 

生きていきましょう。長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう。
運命が送ってよこす試練にじっと耐えるの。
ほかの人のために、今も、年を取ってからも働きましょう。
そしてあたしたちの最期がきたら、おとなしく死んでゆきましょう。
そしてあの世で申し上げるの、あたしたちは苦しみましたって、涙を流しましたって、つらかったって。
すると神様はあたしたちのことを憐れんでくださるわ、

そして、ワーニャ伯父さんとあたしは、明るい、素晴らしい、夢のような生活を目にするのよ。
そうしてようやく、あたしたち、ほっと息がつけるんだわ。



 


世界で何度となく上演されたこの戯曲に感動してしまうのは、
韓国手話という目新しさに私たちが興味を持つからではないと思います。

それは、誤解を恐れずに言いますが、パク・ユリムという女優が、美しいからです。
無論、単に、造型的に美形であるということではなく、
先に挙げたような崇高なセリフ(宗教者のような)にふさわしい美しさと身振り手振りを持っていると言う意味です。

手話の最中での、パッという息遣い…
切れ長の美しい眼…

彼女の独自の魅力については、DVDを入手したら、また論じてみたいと思います。
以上、取り急ぎ、この稿を閉じます。韓国女優も取り上げてみたいと思います。

(以下は、独自『ドライブ・マイ・カー』論です。まだ生煮えなので、ご容赦ください。)


■■
さて、この映画を語る99%の論者は、原作者の村上春樹に言及しながら語っています。


なぜ、いちいち原作を参照しないとならないのか、謎なのですが、どうせ触れるなら、村上春樹がモチーフとした、ビートルズの"Drive My Car"(1965, アルバム"Rubber Soul"収録)に触れるべきでしょう。


 ※"Rubber Soul"には「ノルウェイの森」も収録されているので、この曲が原作のモチーフになっているのは明らかです。

 

 

ジョンとポールは、ジョークに満ちたこの曲で、以下のように歌います:
「あなた、私の車を運転しなさいよ。そうよ、私はスターになるわ。そしたら、あなたの事好きになるかも。」


ここでは、「Drive My Car / 車を運転すること」とは、ほぼ「愛すること」や「生きること」と同意語です。即ち、車=愛=人生なのです。

■■
さて、映画に戻りますが、この映画は端的にドライヴムービー(ロードムービー)です。
車を運転しているシーンが最も多いでしょう。
あろうことか、広島から北海道まで、旅までします。

登場するのは、西島秀俊が長年大事にしているという、1台の赤い車(SAAB)です。

私たちがこの映画の冒頭で目にするのは、(古いマニュアル車であろう)この車の緩慢なスピードと低い耳障りな排気音です。
この緩慢さと排気音こそ、西島秀俊の(ワーニャ的な)人生の低調さです。
それによって、西島秀俊は、ポンコツ寸前の車のような人生を送っていることが暗示されているのです。

もっとはっきり言えば、この車は、寝取られ中年男の悲惨さの象徴なのです。

 


 

そのポンコツ寸前の車=西島秀俊を、運転手である三浦透子と、『ワーニャ伯父さん』を演じるパク・ユリムが、いかにドライヴ=動かすかが、この映画の主題です。

 

その意味で、極めて分かりやすい映画なのです。

ビートルズ風に言えば、"The girls drive my car"(その娘たちが、私の人生を走らせる)映画なのです。
 

その"drive"の演出の妙については、紙幅がいくらあっても足りないでしょう。

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蛇足の蛇足を言えば、このように車を人生=愛に譬えているのは、ビートルズだけではありません。

この曲と同名で、コーラスも真似ている、RCサクセションの同名の曲"Drive My Car"(1983)は、ビートルズとは別の視点で車=愛=人生を描いています。
(すなわち、車を飛ばしていくから、癒しておくれ)

 


また、イギリスのポストパンクのジュリアン・コープの"Wreck My Car"(1983)は、ビートルズと逆の視点です。
(すなわち、君がだけが僕の車を駄目に出来る、という意味)

 


重要なことは、ビートルズに負けず劣らず、いずれも素晴らしく美しい曲だということです。
RCサクセションに至っては、彼らの最高傑作"OK"の1曲目に位置する輝かしい名曲です。

以上、本当に本当の終わりです。


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