4月5日のベティ・デイヴィスの生誕116周年を記念して、彼女の作品を紹介します。
(1908年4月5日生誕 - 1989年10月6日死没)


ベティ・デイヴィスは、AFI(アメリカ映画協会)の女優ランキングの第2位の女優です。
(1位は、キャサリン・ヘップバーン)
冷酷そうに見える容貌もあり、残念ながら日本では人気は高くありません。

 



ベティ・デイヴィスの出世作がこちらです。

なお、Amazonプライムで無料で視聴可能です。

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『痴人の愛』(1934)
監督 ジョン・クロムウェル
共演 レスリー・ハワード、フランシス・ディー、アラン・ヘイル
音楽 マックス・スタイナー
原作 サマセット・モーム

 

タイトルは『痴人の愛』ですが、谷崎潤一郎とは関係がありません。


この作品については、淀川長治氏の言葉を引用しておきます。

 

この主役の女を演じる女優が1人もいなかった。
これを引き受けたのが当時26歳のベティだった。
イギリスの大学のそばのレストランの女給があまりにも美人なので多くの学生が目をつけるが、この女給はなびくと見せてその相手から逃げる。
ひとりの学生がデイトをせまる。
オペラに、映画に、どこに誘ってもイエスともノォとも言わぬ。
″どっちでもいいわ″と男をじらす。
そしてやがてその男を捨てる。

 

それから20年...その医学生は今は立派な病院の腕ききの外科医になっていた。
そこへころげこんで来たのが、あのかつてのレストランの女給の成れの果てだった。
彼女は梅毒に侵されて顔までがくさりかけていた。
そして彼女はその医者に看取られて亡くなった。
画面にこの女のくさりかけた顔のクローズアップが出た。顔をそむけたいこわい一瞬だった。


どの女優もがやりたがらぬこの役をベティはかんぜんと勇気をもってやりとげたのであった。



そのクローズアップをここで掲出するのは、差し控えたいと思いますが、
そうした凄まじい堕落した映像は、1934年だからできたことでしょう。

 

1934年はハリウッド映画の大きな節目で、ヘイズ・コードと呼ばれる映画業界の自主規制により、性・暴力・薬物・犯罪などのテーマを扱うことが禁じられた年です。
その意味で、1920年代に世界的な思潮だったエログロナンスセンス的なものが画面から奪われることになります。


それよりも、1934年以降は、映画の語り方自体が大きく変わったことに注目したいと思います。

とりわけ、女優については、ジーン・ハーロウに代表されるような蠱惑的な魅力は、彼女が1937年に夭逝したこともあって、中心的な魅力ではなくなります。


同様に、セダ・バラや、ニタ・ナルディのような、ヴァンプ女優(男を誘惑し食い物にしようとする女性。毒婦、妖婦、魔性の女)も衰退していきます。

そのかわりにトップスターになったのは、『或る夜の出来事』(1934)のクローデット・コルベールであり、『青春の抗議』(1935)・『黒蘭の女』(1938)のベティ・デイヴィスだったのです。
 ※いずれも、1934年、35年、38年のアカデミー賞主演女優賞女優です。

そして、1939年には、『風と共に去りぬ』が生まれ、ハリウッド映画は、1935年以前の映画から生まれ変わった後に、絶頂期を迎えることになるのです。

ここら辺の話はまた別の機会にいたします。



















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