1月23日は、ジャンヌ・モローの生誕96周年でした。
(1928年1月23日生誕 - 2017年7月31日死没)

それを記念してジャンヌ・モローの作品を紹介しています。

 

『小間使の日記』(1963)
監督 ルイス・ブニュエル
共演 ミシェル・ピッコリ

脚本 ルイス・ブニュエル、ジャン=クロード・カリエール

撮影 ロジェ・フェルー

【あらすじ】
20世紀初頭。
パリの小間使だったセレスチーヌは、田舎貴族の家に奉公に来る。
狩猟と女漁りに励む主人、家の実権を握る夫人、婦人靴に執着するその父、粗野な下男などそこには一風変わった人々が住んでいた…

 

筆者がいつも不思議に思うのは、この作品についての、映画評論家たちによるコメントです。


やれ、靴に対するフェティシズムの映画だとか、やれ、ブニュエルはシュールレアリスムの作家だから不思議だとかの、知的怠慢としか思えないような言葉の羅列ばかりを目にします。

 

そうしたときは、人類の精神の貧しさについての悲しみを覚えます。


どうして、人は、言う必要の無い、意味の無い言葉を、わざわざ選んで口にしてしまうのでしょうか。
 

既知の概念を確認するために、私たちは映画を観ているわけではないと思う次第です。

映画に限らず、芸術作品とは、既知の概念を更新するものであり、既知の概念(例えば愛)が、新たな装いを持って立ち現れ、私たちに心地よいショックを与えるものです。

 

そんな、既知のものが変貌するときの驚きを表現するときの言葉は、手垢のついた言葉でないことは確かです。



この映画での、ジャンヌ・モローの魅力は、彼女に固有の独特の倦怠感をまとっていることに加えて、大きな瞳の動きを見せてくれることです。

田舎町へ小間使としてやってきたモローは、田舎の人々の視線の攻撃を受けつつも、それを伏目でやり過ごしつつ、ときに大きな瞳でキッと睨みつけます。


あるいは、関係を迫ってくる4人の男たちに、ときに誘惑に乗ったふりをして合意の視線を投げる一方で、時に屈してしまったときは、そっと瞳を伏せます。

モローのこうした、聖女でもなく悪女でもない魅力は、ミステリアスと言ってもいいでしょう。
それは、成熟した女性のもつ、抑制された魅力でもあります。












































映画の冒頭シーン。
モローは、田舎駅に降り立ち、出迎えに来ているであろう下男を探します。
そのときの視線の動き。

 

迎えに来たのは、なんとも旧時代の馬車。
パリから来た小間使は、倦怠感と軽い絶望を覚えるのです。

 

こうしたモローの演技の素晴らしさに、ため息をつかざるを得ません。

何という豊饒さでしょうか。

 

映画は心の豊かな方たちのものであって、心の貧しい者たちのものではありません。









 

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