来る6月29日は、キャサリン・ヘプバーンの没後21周年です。
(1907年5月12日 - 2003年6月29日)
それを記念して、彼女の作品を紹介します。


こちらは、キャサリン・ヘプバーンの生涯の伴侶スペンサー・トレイシーとの初の共演作となります。

 

『女性No.1』(1942)
監督 ジョージ・スティーヴンス
共演 スペンサー・トレイシー
製作 ジョセフ・L・マンキウィッツ
撮影 ジョセフ・ルッテンバーグ

【あらすじ】
ニューヨークの新聞社で働く花形記者のサムとテスが結ばれるが、互いに多忙のため何かと反発しあう日々。
その後、テスが亡命少年を引き取ったことで、その年の最も輝いた女性に選ばれたため、サムが家事まですることに…。

 

キャサリン・ヘップバーンが造型的に最も美しく撮影されているのは、この作品でしょう。
(撮影は名匠ジョセフ・ルッテンバーグ)

キャサリン・ヘップバーンは、ブロードウェイ出身ということもあり、モデル的な美貌を誇るものではありませんが、
この作品では衣裳がモダンであり、撮影も美しく、極めてシャープな美女のイメージを残します。















この映画で、キャサリン・ヘップバーンは、働く記者として、パンツを着こなし、演台に立ったり、デスクワークをこなしており、現代のワーキングウーマンのようです。


スペンサーとは結婚するものの、子作りをする前に、アメリカに亡命してきたギリシアの子供を引き取ったりと、実に先進的な女性を演じています。

 












それにしても、9作の共演作を持つ、スペンサーとの見事なコンビネーション。
既婚者であるスペンサーと、長年にわたり同居し、スペンサーの死を看取ったのはキャサリン・ヘップバーンでした。
キャサリン・ヘップバーンのキャリアを語る際に、スペンサー・トレーシーについて語らないのは、ありえません。














以下、ケイトの死去に際しての蓮實重彦のコメントから:

 

誰かまわず「さん」づけで呼ばぬと気のすまぬらしいテレビや新聞・雑誌の官僚主義は何とも嘆かわしいかぎりですが、ついせんだって、グレゴリー・ペックさんにつづいて、キャサリン・ヘップバーンさんの96歳での死を伝えた日本のマスメディアは、アメリカ本国におけるヘップバーンさんの追悼ぶりが、ペックさんのそれより遥かに大規模なものだったことに軽いショックを受けていたようです。


だが、考えてみるまでもなく、そんなことは当たり前の話でしょう。

たかだか戦後のどさくさにまぎれてスターになったペックさんや同姓のオードリーさんなどにくらべれば、キャサリンさんは戦前のブロードウェイからハリウッドに招かれた正真正銘の大スターで、『ローマの休日』などというハリウッド退潮期の作品でコンビを組んだお2人などとは、そもそもかっさらったオスカーの数が違うし、アメリカ映画への貢献度という点でも比較にならない。

 

時事報道専科のABCまでが、彼女はたぐい稀なClassとTasteに恵まれていたと感慨深げにいっていたように、合衆国には「ヘップバーン神話」はあっても、ペック神話やオードリー神話なんてものは存在しない。

ところが、日本では、ペックさんやオードリーさんのほうが有名らしく、無知からでたこの種のガキ人気にマスメディアまでが同調してしまうのは本当に嘆かわしい。 

 

(...)彼女の追悼にジョージ・キューカーさんとスペンサー・トレイシーさんの名前を挙げずにおくことが、国際規格からみてジャーナリスト失格だといったことぐらいは知っておいたほうがよい。


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