明日1月24日は、ナスターシャ・キンスキーの生誕63周年です。
(1961年1月24日、旧西ベルリン生まれ)

それを記念して彼女の作品を紹介します。
 

ナスターシャの父親はドイツの男優クラウス・キンスキー。
13歳の頃に芸能界入りをし、映画やTV映画に出演し、16歳の時渡米し、リー・ストラスバーグの演技学校で学びました。
1979年 『今のままでいて』で本格的にデビュー、1979年 『テス』で国際的評価を得ました。

 


今日ご紹介するのは、ナスターシャが18歳の時の出世作をご紹介します。

 

『今のままでいて』(1979)
監督 アルベルト・ラトゥアーダ 
共演 マルチェロ・マストロヤンニ 
撮影 
ホセ・ルイス・アルカイネ
 

【あらすじ】
造園を営む中年紳士ジュリオは、ある日、墓地で若く美しい娘フランチェスカに出会う。
親子ほども年の離れたフランチェスカに魅了され、葛藤の末についに彼女のみずみずしい裸身を抱いてしまうジュリオ。
2人の愛の日々が始まるが、やがてジュリオはフランチェスカにまつわり意外な事実を知る……

 

ナスターシャは、父親が著名な男優ということがあり、13歳から女優として活動していました。

 

ヴェンダースの初期の作品『まわり道』で重要な助演をしていたり、

イギリスのC級映画会社ハマーフィルムの『悪魔の性キャサリン』で主演したり(ヌードにもなっています)、

ドイツの青春コメディ『レッスンC』に出演していたり、と、いかにも1970年代的な特徴を持った映画を、ヨーロッパ各地で続けてきました。

 

さて、彼女の女優として頭角を現したと言われるのが、このイタリア映画です。

 

思えば、ドイツ映画は、映画史においては、1910~20年代のルビッチやウーファ社以外はほとんど語られていません。

1920年代は、ドイツ表現主義と言われたりもして、一世を風靡し、ラング、ムルナウ、スタンバーク、デトレフ・ジールクなどの映画監督が傑作を残してきました。

ナチスの台頭と前後して、ハリウッドへ移る映画人が多く、以降は国策映画が多かったと映画の教科書では記述されております。

戦後は、ロミー・シュナイダーの初期映画『シシー』くらいしか記憶がありません。

 

さて、18歳の時にこの作品は、イタリアで撮られることとなりました。

共演は、かのマルチェロ・マストロヤンニです。

 ※1974年はドヌーヴとの四部作が終わったあたりで、破局を迎えた後でしょうか。

当時は、ナスターシャのヌードが話題になったのですが、映画として悪くない仕上がりになっています。

 

監督は、アルベルト・ラトゥアーダ。

 

『アンナ』ではシルヴァーナ・マンガーノを、『芽ばえ』ではジャクリーヌ・ササールを、『17歳よさようなら』ではカトリーヌ・スパークをそれぞれ世界的なスターに仕立てあげた功績がある(蓮實重彦の著作より引用)ので、ジョージ・キューカーやジョーゼフ・L・マンキーウィッツのような女優に向いている映画監督かもしれません。





 























 

なるほど、ナスターシャ・キンスキーの裸体は、女性に対する審美感を問題にしなければそれなりに堂々として美しい。
不意に、文字通りの理由を欠いた唐突さで、見るものの義務の成就を祝福するかのような途方もないものがスクリーンに映しだされるのであり、そのときわれわれは、やはり、ラットゥアーダがただの監督ではないと確信するにいたる。


それは、かつてフィレンツェの街の映画館で、上映が終ったときに姿を消してしまった女の娘だというナスターシャ・キンスキーとつれだって、マストロヤンニが、そう、これはマルチェロ・マストロヤンニ主演のメロドラマなのだが、とにかく気づまりな時間をやりすごそうとして二人で映画館の暗闇に腰をおろし、並んだ二つの視線をスクリーンに注ぐことになる瞬間、そこに投影されているイメージのあまりの異様さに、誰もが思わずうろたえ、自分がいま何をしているのかがふとわからなくなるのであり、思わずそこに視線を投げかけ続けるほかはない。

(蓮實重彦)

 

 





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